近衛読書中隊

挙措において簡素 言語において細心 熱狂において慎重 絶望において堅忍  

小林弘忠『巣鴨プリズン 教誨師花山信勝と死刑戦犯の記録』中公新書
巣鴨の初代教誨師花山信勝が主人公。これは色々な事情が重なってのことだが、花山師という人は、決して人気のある(評判の良い)人ではない。”巣鴨の父”という呼び名は師ではなく、二代目教誨師の田嶋隆純師に冠される。しかし著者・小林氏の花山師を見つめる視線はあくまで暖かい。氏の著作『逃亡』は以前紹介したが、暖かさに通じるものがある。

花山は真宗本願寺派宗林寺に生まれた。四高から東京帝大文学部印度哲学科に進み、更に大学院も出ている。その後帝大講師、助教授を経て、教誨師への就任要請を受けたときは教授となっていた。あいだに欧州を巡ったりもしており、語学力やキリスト教への理解もあった。根っからの学究であり、その学究臭さにあまり有り難味を感じないと思っていた被告もいた。しかしそれを言うなら田嶋師もソルボンヌ大学で文学博士を取得した現職大学教授である。

乱暴に言えば花山の説教は「安心して死になさい」というものだ。そして著者が示すように、師の説教で心安らかに処刑された人は何人もいる。ただやはり戦犯達は、基本的に自分たちに罪があるとは思っていないため、こういう説教の仕方は受けが悪い。心の安らぎを得た被告は結局処刑されてしまうわけだから、師への悪評だけが後に残る。この姿勢は特に、当時巣鴨で大きな影響力を持っていた岡田資中将と相容れなかった。

マスコミの問題もあった。巣鴨を一歩出ればマスコミが彼を取り巻く。そして彼の言葉の一部だけを取り上げて醜い記事を書く。これが廻りまわって巣鴨の住人に知れる。教誨師を辞めた後、本を出版し、これがベストセラーとなった。またアメリカに講演に行き人気を博した。こういったことも、残された人々からすれば面白いはずはない。何より後任の田嶋隆純という人が、花山と違いすぎた。

教誨師への就任依頼を受けたとき、田嶋はとても自分には務まらないと断ろうとした。しかしそれでは困るという若い米軍中尉に負け、一度試験的に講話をすることを引き受けた。

 「シャット・アップ(黙れ)!!」
 まるで飼犬を叱るような鋭い声。ハッと私は胸を突かれた。
 一瞬しーんと静まった階上に、カラコロと下駄の音が聞こえ出した。十数人でもあろうか。頭上に近づき、次でカタヽとすぐ傍の階段を降りて来る。
 一人、また一人、―降り口で会釈の目礼をかわすどの顔も、堅く結んで白蝋のように蒼白く透きとおっている。

田嶋隆純『わがいのち果てる日に』より

被告たちを前にした田嶋は、思わず次のように語りながら涙を流した。

「私は仏の慈悲に溢れて、その熱情を皆様にお伝えし得るが如き者ではありません。私のできることといえば、たゞ皆様と共に仏道を修業させて戴く、それ以外に何のお役にも立ち得ない人間であります」

「若し皆さんに罪ありとするならば、その罪は私達も亦共に負うべきものです」

絶対に「懺悔しなさい」とは言わない。文字通り被告と共に苦しみ共に泣く田嶋の姿勢と比べれば、花山の態度はどこか一段上から見下ろすようなものに感じられる。また田嶋は就任と同時に熱心な助命嘆願運動を開始したが、これも花山はやらなかったことだ。この助命嘆願運動に対して、巣鴨の死刑囚を代表し岡田中将から田嶋に礼状が贈られているが、その中で岡田は、前任花山が助命嘆願に不熱心だったことを書いている。岡田の『毒箭』には更に、花山時代に自分宛に出されていたものが、田嶋師に代わってからやっと手元に届いたというようなことまで書かれている。仮に之が事実だとしても、花山が差し止めていたというようなことは無いと思うが、岡田の花山への感情を現している。

「わがいのち果てる日に」の大部分は死刑囚の遺書で占められ、”わがいのち”の”わが”というのは彼等自身を指しているが、田嶋自身巣鴨で脳溢血で倒れ、それが元で昭和三十二年に亡くなっている。ちなみに花山は平成まで長命した。


この話はだらだら続く可能性有り


京都の古書即売会で購入した本が届いた。今回は雑誌のバックナンバーが多い。


  1. 原田伴彦『日本史の人物像9 剣客列伝』筑摩書房
    登場人物は塚原卜伝、上泉信綱、伊藤一刀斎、東郷重位、柳生十兵衛、宮本武蔵etc.私は幕末の千葉周作、斎藤弥九郎、男谷精一郎、桃井春蔵の話に惹かれて購入。
  2. 橋本昌樹『田原坂 西南役連作』中央公論社
    著者は橋本虎之助中将の息。西南の役は『翔ぶが如く』くらいでしか知らないし、中々読み易そうだったので購入。
  3. 今西栄造『昭和陸軍派閥抗争史 101人の政治的軍人』伝統と現代社
    大分前に読んでいる本だし、格別読み直したいとも思わなかったが、安かったのでつい捕獲。
  4. 桑島節郎『満州武装移民』教育社
  5. フォン・メレンティン『ドイツ戦車軍団 上下』朝日ソノラマ
  6. ジェームズ・テーラー『ナチス第三帝国事典』三交社
    これが一番高かった。Wikiよりは役立つだろうと期待。
  7. ヨアヒム・フェスト『ヒトラー 最期の12日間』岩波書店
    類似本が何冊かあったが、一番新しいこれを選んだ。
  8. 清瀬一郎『秘録東京裁判』中公文庫
  9. 笹川良一『巣鴨日記』中央公論社
  10. 小宮山登『畑俊六 巣鴨日記 米内内閣崩潰の真因』日本文化連合会
    今ちょうど戦犯裁判について色々読み直しているのでその流れで購入。
  11. 『文藝春秋臨時増刊 三代特ダネ読本』
    巻頭グラビアはふんどし姿の乃木大将。朴烈・金子文子の写真も。
  12. 『特集文藝春秋 日本陸海軍の総決算』
    陸海将軍の座談会など収録。
  13. 『中央公論 歴史と人物 昭和四十五年』
    福田恒存「乃木将軍は軍神か愚将か」など収録。
  14. 『中央公論 歴史と人物 昭和四十六年九月』
  15. 『中央公論 歴史と人物 昭和五十三年五月』
    特集日本海軍事件秘史。花井清「秋山真之と花井卓蔵の激論」、船坂弘「遠藤中佐の決意と最期」など収録。
  16. 『中央公論 増刊歴史と人物 秘録太平洋戦争 昭和五十七年』
    川島威伸「鈴木敬司大佐の活躍」、山下實六「川口支隊長の精神鑑定」、春山和典「”軍神”南郷兄弟の生と死」、黛治夫「戦艦無用思想を批判する」、服部雄三「五原の捨石」、朝枝繁春「大本営参謀の極秘終戦指導方策(案)」など収録。
  17. 『諸君! 昭和五十八年九月』
    田中正明「”南京虐殺”の松井石根の陣中日誌」など収録。
  18. 『中央公論 歴史と人物 実録日本陸海軍の戦い 昭和六十年』
    参謀本部の各課の在籍者がその課の業務と活動を綴っているのが面白い。
  19. 『中央公論 歴史と人物 日本陸海軍の戦歴 昭和六十一年』
    特集・関東軍四十年の風雪、林三郎「戦時下の陸軍中央部」など収録。
石川正俊『鵜沢総明』技報堂


光市事件の影響で鵜沢総明の伝記を読んだが、これが瓢箪から駒。鵜沢博士といえば相沢三郎の弁護に立ち、東京裁判では弁護団長を務めた人。これだけを見たらちょっと皇道がかったお爺くらいに思えるが、どうしてどうして。その弁護士人生は中々味がある。

鵜沢は幼名を惣市をいったが、惣市が12歳のとき、父が無実の罪で入獄した。しかし惣市の父は、決して罪を認めず、過酷な未決囚の生活に耐え、3年半後に無実で出獄した。この辺りの話は、『寄生木』の小笠原善平の父親とそっくりであるが、当時はよくあった話なのだろうか。惣市は父の入獄のお陰で進学を諦め、高小を卒業すると母校の先生になった。しかしその才能を惜しんだ校長の斡旋で、太田和斎という人の塾に通えるようになった。

父が出獄すると、惣市は東京に遊学に出た。このとき弁護士になりたいと父に言ったら、父は「弁護士になるなら、無実の罪で監獄に入っている者の心で、法律を修めるがよい」と言って、許可してくれた。東京遊学1年で一高にパスすると、病気で1年延期するもこれを卒業し東京帝大独法に進んだ。このとき名前を総明に改めている。また一高在学中に植村正久に出会い、クリスチャンになっている。

卒業後、帝大の恩師レンホルム教授の法律事務所で働き始めるが、自分の保証人でもあり、父の弁護人でもあった長谷川深造(長谷川時雨の父)が東京市参事会員の涜職事件に関与したため、独立してこれの弁護に当たった。このときの弁護は「非公吏論」というもので、この弁論を聞いた星亨は「本当の弁護論だ」といって賞賛した。

その後も日比谷焼討ち事件、幸徳秋水の大逆事件、岩下清周事件、朝鮮総督暗殺未遂事件、京都ブタ箱事件、虎ノ門事件、北九州事件、松島遊廓事件、佐郷屋留雄事件、帝人事件、尾崎行雄の不敬事件など多くの事件で弁護人を務めた。

衆議院議員としては政友会に属し、原敬や西園寺公望の信頼厚かった。しかし、朝鮮に関する制令はすべて法律案によらず緊急勅令で律しようとする勅令三二四号には烈火のごとく怒った。原との対談ではこれを千古の悪法と断じ、六法全書を机に叩きつけて議論したため、六法の綴じが割れてばらばらになったという。新米の癖に党議に逆らうものは除名してしまえと院外団が殺気立ったが、朝鮮人の人権の根本に関する問題であるとして断固反対を貫いた。穂積陳重これを聞いて鵜沢に次のような手紙を出している。

貴兄は固く法律家の節操を守り 毅然として不動 ついに堂々たる大政党をして反省せしむるに至り 学者の面目を全うせられ候趣
小生はこれを聞いて欣然雀躍致候事にござ候

大山柏『金星の追憶』

当時陸大兵学教官で最も口の悪い工兵出身の高○中佐(十七期)がいた。この人は頭が余りにも鋭ど過ぎて剃刀の様で、常に辛辣な批判をするので往々誤解を受け、為に有為の材を持ちながら陸軍生活も短命に終った人であり、「口は禍の元」を地でいった人である。しかし不思議なことには私とは別懇の間柄で、今以て(昭和三十八年)尚音信を通じ、同氏の居所を十七期会に通報したのも私なのである。
 さて私が殿下に御供しているときは、よく金武官と並んで歩く。すると例の高○中佐、何んでこれを見逃そう。私共が行遇った途端に大声で私に向い「銀武官!」ときた。並みいる連中ドット笑う。なる程にわか分限の御附きだから、本職の金武官に対し銀武官は誠に当意即妙。いや皆んなが悦ぶのなんの。それからは皆んなで私を銀武官と渾名してしまった。だが殿下だけは全く御存知なかった。

今その場所をハッキリ記憶していない。恐らく富山近所だったかと思う。在郷軍人会の面々が殿下に御手植の御願にきた。担任教官(香月中佐と記憶する)と交渉、これは私がした結果、某月某日昼食休憩時に行われることになった。その日がきた。私が丁度折悪く殿下の御側にいた時だった。在郷軍人分会長の中尉殿、直立不動の姿勢も厳格且つ大声に「銀武官殿! 御手植の準備が完了しました」ときた。これには殿下御自身が余程驚かれたらしく、私が未だ嘗て聞いたことがない怒声を以て「ここにおられる方は銀武官ではありません。大山大尉です」で、気の毒したのは分会長、目を白黒している。彼氏は私を銀と堅く信じ、何んの疑もなかったのだ。

著者は大山元帥の跡取りで母は山川捨松。文中の殿下は王世子李垠殿下のことであり、金武官というのが、宇都宮太郎に育まれた金吾こと金応善である。というわけで、ぼつぼつ宇都宮日記第三巻に取り掛かりたい。
筒井清忠『二・二六事件とその時代』ちくま学芸文庫
圧巻はなんといっても第四章・昭和陸軍の原型(プロトタイプ)ーバーデン・バーデンから一夕会までーです。二葉会、木曜会、一夕会のメンバー表や出欠、討論の内容にいたるまで、非常によくまとまっており、脚注も含めて読み応えがあります。入手も容易ですし、お奨めの一冊といえるでしょう。

磯部夫人をモデルにしたオペラがあったらしい。
三枝成彰 新作モノオペラ「悲嘆 Grief」

舞台は1936年、東京の簡素な家の寝室。着物を着た若い女、トミコが夫の亡骸の傍らに座っている。その夫は226事件の首謀者の一人として捕えられ、刑死したのだ。夢のように幸せだった結婚生活はたった半年で終ってしまった。トミコは、夫を裏切り刑死に追い込んだ人々を呪わずにいられない。

ふたりが出逢ったのは、トミコが15歳、彼が23歳のときだった。大恐慌で父の事業が破綻、舞妓となったトミコは老人の愛人となることを強いられる。その苦境から彼女を救い出してくれたのが彼だった。運命に導かれるように恋におちた二人はまもなく結婚。トミコは幸せの絶頂に酔いしれる。しかし、幸福は長くは続かなかった。

■指揮:森本恭正
■ソプラノ:中丸三千繪
■演奏:
 オーボエ:庄司知史  クラリネット:野田祐介、有馬理絵、伊藤圭
 パーカッション:永曽重光  シンセサイザー:岩井美貴
 ヴァイオリン:甲斐史子、花田和加子、友永優子、田中園子、
 横山和加子、上野真理、佐藤まどか、宮本恵、小松美穂、宮野亜希子
 ヴィオラ:木佐貫美保、吉田有紀子、阪本奈津子、佐藤佳子
 チェロ:大友肇、松本卓以、多井智紀

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