昨日になるが、録画していた『日本のいちばん長い日』を見た。2時間半だが最後までだれることなく素晴らしいと思った。ご遺族からすればまた別の感慨もあるだろうけど、私は椎崎、畑中コンビの演技は良かったと思う。特に最後の馬とサイドカーで駆けるシーン。さすがに天本英世の佐々木大尉はやりすぎちゃうかと思ったけど。
さてそういうわけで寝る前に飯尾憲士氏の『自決』を読み直したわけなのだけど、その中でこれまであまり気に留めていなかった一節があった。若林少尉の本にも出てきた益田中佐は、航空士官学校の教官だったため、『自決』にも登場するのだが、彼が熱心に信奉していた法華宗派は、平泉学派と激しく対立していたのだとか。平泉学派と言えば、竹下正彦中佐も井田正孝中佐も、椎崎中佐、畑中少佐もそうだった。
ところで飯尾氏は、森師団長殺害の場面の黒田大尉(上原大尉と窪田少佐のミックス)なる人物の狂態について
さてそういうわけで寝る前に飯尾憲士氏の『自決』を読み直したわけなのだけど、その中でこれまであまり気に留めていなかった一節があった。若林少尉の本にも出てきた益田中佐は、航空士官学校の教官だったため、『自決』にも登場するのだが、彼が熱心に信奉していた法華宗派は、平泉学派と激しく対立していたのだとか。平泉学派と言えば、竹下正彦中佐も井田正孝中佐も、椎崎中佐、畑中少佐もそうだった。
ところで飯尾氏は、森師団長殺害の場面の黒田大尉(上原大尉と窪田少佐のミックス)なる人物の狂態について
としきりに嘆いておられるが、黒沢年男はまだこのとき全然若手だろうし、年だけなら風車の弥七の方が上なんじゃないかと思う。まあどうでもいいこっちゃけど。畑中少佐に扮した中年の俳優が構えた拳銃が火を吐き、上原大尉に扮した若い俳優が軍刀を抜きはなって斬りかかる。頬骨の張った陰険なメイキャップに私は眉をひそめたが、キャッ!とか、ギャッ!とかヒステリックな叫びをあげて斬りかかった演技をみて、私のほうが悲鳴をあげそうになったのである。上原重太郎とは似もつかぬ暴れかたであった。
ワーテルロー戦役を読んでたら最初のほうに、皇帝近衛軍の指揮官としてピエール・カンブロンヌ子爵という名前が出てきた。後にワーテルローで皇帝を守り、同盟軍の降伏勧告を撥ね付け、不朽の名声を残したという。そういわれると何となく記憶にある名前だと、私のワーテルローに関する知識の6割くらいを占めるレ・ミゼラブルを繰ったところ、確かに出てきている。で、なんて言い返したかというと、「糞」だそうだ。WW2のバストーニュでの「ナッツ」の原型か。ユーゴーはワーテルローの勝者は、ウェリントンでもブリュッヘルでもなくカンブロンヌだとまで書いてるけど、そんな大層なものかな?
昨晩読了した。確かにこの本は、丸っきりの初心者向けとは言えないかもしれない。しかしこれからあの時代を勉強しようという積極的意志のある人間にとっては、十分な入門書になるだろう。私も早速図書館から『ワーテルロー戦役』という本を借りてきた。
「ナポレオンの元帥たち」(牧歌舎) 第二刷ができました

更に、ここで知ったトルコ狂乱 オスマン帝国崩壊とアタテュルクの戦争
という本、あまりの分厚さにちょっとたじろいだが、もうその本屋で最後の一冊だったので思い切って購入した。でもこれでますます、例年事業の糺の森での古本市行きは遠のいたかな。
「ナポレオンの元帥たち」(牧歌舎) 第二刷ができました
更に、ここで知ったトルコ狂乱 オスマン帝国崩壊とアタテュルクの戦争
金曜日に現物も届いたし、増刷の可能性も出てきたようだし(詳しくは大陸軍千一夜を読むべし)、これで心置きなく宣伝できるというものです。電子書籍化もされるようですが、最近めっきり本は寝転んでしか読めない体質となった私としては、紙媒体で手に入るかどうかは死活問題だったので、何はともあれほっとしています。
この土日で半分くらい読みましたが、この時代について中学生レベルの知識しかない私でも、十分面白く読めています。まあホントに知識が無いので(プリンス・チャーリーって誰?)気の利いた感想など書けませんが。しかしナポレオンの部下軍人について、日本語で読めるここまで纏まった文献というのは希少価値がありますよ。是非。

この土日で半分くらい読みましたが、この時代について中学生レベルの知識しかない私でも、十分面白く読めています。まあホントに知識が無いので(プリンス・チャーリーって誰?)気の利いた感想など書けませんが。しかしナポレオンの部下軍人について、日本語で読めるここまで纏まった文献というのは希少価値がありますよ。是非。
銀時計の特攻―陸軍大尉若杉是俊の幼年学校魂 (文春新書 644)
以前このブログで触れたことのある若杉是俊少尉に関する本が出ていた。まったく驚いたが、勿論すぐ購入して読み終えた。村上兵衛さんの本に出てくる話も多いが、遺書は初出だろう。私にとっては期待以上の内容だった。また広島の幼年学校で若杉の生徒監だった益田中佐についても一章割かれており、そちらもよかった。
殉義隊 若杉是俊少尉
さて本筋からはずれるが、益田中佐が尊敬して止まなかった先輩に松谷磐という人がいた。あまり知る人はいない名前だろうし、私もただ一点、この人が、樋口季一郎と橋本欣五郎が神楽坂の料亭で喧嘩別れしたとき(このとき酔った橋欣は樋口にビール瓶を投げつけた)、樋口に付き添っていたということしか知らない。本書によればこの松谷中佐は、非常に熱心な法華信者で、軍隊内でも戦場でも太鼓を叩きながらお題目を唱えて歩くことで、「太鼓の松谷」として知られていたそうだ。これを読んで私はちょっとありゃっと思った。というのもやはり以前ここで書いたことの有る棚橋信元の『神がかり参謀』という本に次のような一節があるからだ。
以前このブログで触れたことのある若杉是俊少尉に関する本が出ていた。まったく驚いたが、勿論すぐ購入して読み終えた。村上兵衛さんの本に出てくる話も多いが、遺書は初出だろう。私にとっては期待以上の内容だった。また広島の幼年学校で若杉の生徒監だった益田中佐についても一章割かれており、そちらもよかった。
殉義隊 若杉是俊少尉
さて本筋からはずれるが、益田中佐が尊敬して止まなかった先輩に松谷磐という人がいた。あまり知る人はいない名前だろうし、私もただ一点、この人が、樋口季一郎と橋本欣五郎が神楽坂の料亭で喧嘩別れしたとき(このとき酔った橋欣は樋口にビール瓶を投げつけた)、樋口に付き添っていたということしか知らない。本書によればこの松谷中佐は、非常に熱心な法華信者で、軍隊内でも戦場でも太鼓を叩きながらお題目を唱えて歩くことで、「太鼓の松谷」として知られていたそうだ。これを読んで私はちょっとありゃっと思った。というのもやはり以前ここで書いたことの有る棚橋信元の『神がかり参謀』という本に次のような一節があるからだ。
上の会話は、棚橋が漢口攻略戦の後に第15師団を大本営参謀として訪れた時のものである。松谷さんも樋口によれば静岡の聯隊にいたそうであり、漢口攻略などに大隊長として参加している。勿論別人の可能性もあるが、しかし私は(これが仮に松谷を指しているとして)、支那事変の性質から言っても日本軍の体質から言っても、この聯隊長の酷評は、下された本人にとって何等恥ずべきものではないと考える。実際松谷中佐は部下に対し、「軍人だからといって、たくさん人を殺して勝つのは仏様のお心に背く。」と言っていたそうだ。こんなことを言う人が、聯隊長の覚え目出度かった訳も無し。「現役中、何遍注意をうけても、静岡の街の中をタイコを叩いて歩き、遂に予備役となった、日蓮宗狂信の大隊長がおられる筈ですが、その方の戦闘振りは如何ですか?」
と、興味をもって尋ねたところ、連隊長は、顔の前で右手を左右に振り、首でイヤイヤしながら
「テンデ、問題になりませんなあ・・・・これに反して、陸軍戸山学校で、剣道教官をしたことのある大隊長は、流石に立派です。計画といい、実行といい大したもので、何時も大きな戦果を収め、模範大隊長ですよ」
昭和6年の十月事件で橋本欣五郎たちが想定していた内閣というのは次の通り。
首相兼陸相 荒木中将
内務大臣 橋本欣五郎中佐
外務大臣 建川美次
大蔵大臣 大川周明博士
警視総監 長少佐
海軍大臣 小林少将(省三郎)
殆どの本は上記の通りになっていると思う。というのも田中清の「所謂十月事件に関する手記」がそうであるから。但し中野雅夫氏は陸相は建川の兼任とし、さらに加えて
法務大臣 北一輝
拓務大臣 藤田勇
と書いている。中野氏は藤田と親しく、十月事件の情報も藤田から得ていたので、或いはそういう話もあったのかもしれないが、手前味噌かもしれない。中野氏は藤田を大物フィクサーとして描くが、里見甫の伝記などでは、里見とは比較にならない小物とされている(阿片商人としてだが)。中野氏の本は徹頭徹尾橋本サイドから書かれているため、読んで憤慨する人もいるだろう。事件前の料亭(末松太平氏によれば梅林)での顛末についても、鉄血章のことはおざなりにされ、青年将校たちは血判するのが怖くて脱退したというような書き方をしている。さすがに小原重孝に気絶させられた中尉の名前はふせてあるが、そんなもの誰が見ても菅波三郎であること丸わかりだ。ところがそんな中野氏も、橋欣を敬愛すること人後に落ちない田々宮英太郎氏には批判されている。中野氏が某女史から手に入れ出版した『橋本大佐の手記』の解説が事実を歪曲しているというのである。
歪曲といえばついでに、田中の手記について。あの手記は石丸少将から憲兵隊(持永少将)、村中孝次と渡り、「粛軍に関する意見書」に添付されて世に出たものだが、その過程で相当の改竄がなされていることは知られている。その中で特にケッタイなのは三月事件に関する記述の中の以下の箇所である。
さてもう一つは東條打倒に燃えた中野正剛の組閣案。彼の腹心三田村武夫代議士から押収した閣員名簿によれば
総理大臣 宇垣一成
内務大臣 中野正剛
内閣書記官長 天野辰夫
外務大臣 廣田弘毅
情報局総裁 緒方竹虎
商工相兼企画院総裁 梶井剛
陸軍大臣 小畑敏四郎もしくは大迫通貞
海軍大臣 豊田副武
天野辰夫は神兵隊事件で逮捕されたこともある弁護士。これはいずれ書くかもしれないが、一部の右翼と大政翼賛会は相性が悪いらしい。梶井という人は全然知らないが、松前重義の推薦だそうだ。さて私なんかが目がいくのはやはり陸相候補。小畑に関しては何の違和感もないが、もう一人の大迫通貞というのはどこをどう回って出てきた名前なのか気になる。確かに彼はこの昭和18年、師団長として内地にいたがそれでもこのメンバーに入るような人かな?場違いというと失礼かもしれないが、まさかサイコロ振って決めたわけでもあるまいし、どういうコネクションなのだろうか。大迫は陸士23期。この期からは多くの軍司令官が出たが、彼は第47師団長を最後に予備役となり、終戦時は召集されて故郷鹿児島の地区区司令官をしていた。その経歴的には所謂支那通。土肥原賢二の下で竹工作(呉佩孚引っ張り出し工作)をやっていた。
首相兼陸相 荒木中将
内務大臣 橋本欣五郎中佐
外務大臣 建川美次
大蔵大臣 大川周明博士
警視総監 長少佐
海軍大臣 小林少将(省三郎)
殆どの本は上記の通りになっていると思う。というのも田中清の「所謂十月事件に関する手記」がそうであるから。但し中野雅夫氏は陸相は建川の兼任とし、さらに加えて
法務大臣 北一輝
拓務大臣 藤田勇
と書いている。中野氏は藤田と親しく、十月事件の情報も藤田から得ていたので、或いはそういう話もあったのかもしれないが、手前味噌かもしれない。中野氏は藤田を大物フィクサーとして描くが、里見甫の伝記などでは、里見とは比較にならない小物とされている(阿片商人としてだが)。中野氏の本は徹頭徹尾橋本サイドから書かれているため、読んで憤慨する人もいるだろう。事件前の料亭(末松太平氏によれば梅林)での顛末についても、鉄血章のことはおざなりにされ、青年将校たちは血判するのが怖くて脱退したというような書き方をしている。さすがに小原重孝に気絶させられた中尉の名前はふせてあるが、そんなもの誰が見ても菅波三郎であること丸わかりだ。ところがそんな中野氏も、橋欣を敬愛すること人後に落ちない田々宮英太郎氏には批判されている。中野氏が某女史から手に入れ出版した『橋本大佐の手記』の解説が事実を歪曲しているというのである。
歪曲といえばついでに、田中の手記について。あの手記は石丸少将から憲兵隊(持永少将)、村中孝次と渡り、「粛軍に関する意見書」に添付されて世に出たものだが、その過程で相当の改竄がなされていることは知られている。その中で特にケッタイなのは三月事件に関する記述の中の以下の箇所である。
田中もはっきり書いているが、この某中将というのは原文では某少将であり、それは建川を指している。真崎は三月事件に関してはクリーンである。であるにも関わらずわざわざこのような改竄をしたのは、どういう意図があってのものなのか、ちょっとわかりにくい。何故なら石丸も持永もガチガチの真崎派であり、村中にしてもこの時点ではまだ真崎サイドであったから。此情勢に於て某中将(此の氏名は最後まで秘匿せられ今日に至るも明らかならず一説には真崎中将と云ひあり)は小磯、建川少将の何れか一名以下数名の将校を率ひ議場に入り(中略)総辞職を決行せしむ
さてもう一つは東條打倒に燃えた中野正剛の組閣案。彼の腹心三田村武夫代議士から押収した閣員名簿によれば
総理大臣 宇垣一成
内務大臣 中野正剛
内閣書記官長 天野辰夫
外務大臣 廣田弘毅
情報局総裁 緒方竹虎
商工相兼企画院総裁 梶井剛
陸軍大臣 小畑敏四郎もしくは大迫通貞
海軍大臣 豊田副武
天野辰夫は神兵隊事件で逮捕されたこともある弁護士。これはいずれ書くかもしれないが、一部の右翼と大政翼賛会は相性が悪いらしい。梶井という人は全然知らないが、松前重義の推薦だそうだ。さて私なんかが目がいくのはやはり陸相候補。小畑に関しては何の違和感もないが、もう一人の大迫通貞というのはどこをどう回って出てきた名前なのか気になる。確かに彼はこの昭和18年、師団長として内地にいたがそれでもこのメンバーに入るような人かな?場違いというと失礼かもしれないが、まさかサイコロ振って決めたわけでもあるまいし、どういうコネクションなのだろうか。大迫は陸士23期。この期からは多くの軍司令官が出たが、彼は第47師団長を最後に予備役となり、終戦時は召集されて故郷鹿児島の地区区司令官をしていた。その経歴的には所謂支那通。土肥原賢二の下で竹工作(呉佩孚引っ張り出し工作)をやっていた。





