自分は高校の文理分けでも理系、大学はキソ工、今の仕事もまあ理系ですが、歴史はずっと好きでした。最初に触れた歴史物は小学校3年くらいのときの三国志。で、どこに反応したかというと車騎将軍とか、越騎校尉とか。そういうのを抜書きして、そこに人物を当てはめてニヤニヤしてました。要するに官職マニア且つ組織マニアなんですね。今現在やってるサイトもその延長線上でしょう。三つ子の魂何とやらです。
で、その官職マニアが推薦するのが、これ。
正史準拠ですので、簡単に読める正史としても便利ですが、官職マニアの視点から何が良いかというと、日本語、白文、読み下し文という構成になってるんですが、日本語の部分で官職をいちいち現代語訳してるんです。
司隷校尉=>警視総監
河南尹=>首都圏長官
執金吾=>憲兵隊司令
尚書令=>皇帝政務秘書長
みたいな感じで。これがたまらん(まあビョーキでしょうな)。
しかし張宗昌はやっぱり酷い奴アルな。
北京を占領した張作霖麾下の張宗昌は、北京市場で美人の婦女を攫って欲望の満足に供した。ある時、女子高等学校から出てくる学生を攫ったところ、そのなかに市長袁良の娘と息子の妻女、中央政府の某部長の娘が含まれていた。しかし、北京の新聞記者は、一言半句もこれを攻撃することはしなかった。
まあ、狗肉将軍と呼ばれるだけのことはしてます。伊達順之助が殺し損ねたのは、北京の婦女には不幸なことでした。
袁良といえば、福島安正に可愛がられ、陸士を出た後、特別に近衛騎兵聯隊の見習士官として、日露戦争に従軍したとか。日本語は流暢だが、興奮するとオネエ言葉になるとは、佐々木到一の話です。
ヒットをとばした。彼らの書いた本を読んで、私はそれらの多くに
共通点があるように思った。
それは人物評が極端だということである。筆者が良いと思った人物は
とことん持ち上げられ、逆に悪いと思った人物は糞味噌に貶される。
元々読ませる文章を書ける人々が描き出す、善悪に二分化された
雲上界。好奇心旺盛な大衆にアピールしないはずはない。
しかしそれらは公平な視点で書かれたとは言い難い。
結局彼らジャーナリストの人物評というのは、親しさの
度合いに比例しているのだ。自分が親しくしていた人、
情報を良くくれた人には甘く、あまり親しくなかった人、
自分が親しくしていた人と対立する立場にあった人に辛い。
だから読むなっちゅうわけではない。大体そんなこと言う権利、
私には無い。実際彼らの書いた本は面白いし、初心者をこの
世界に誘うにはもってこいだと思う。かくいう私も、高宮太平の
『昭和の将帥』がきっかけで、この世界にはまったのだから。
結局一冊の本に頼りきらず、できるだけ沢山の、異なった視点の
本を読むことが大事だと思う。
読もう読もうと思いながら後回しになっていた本。
著者は国民新聞の記者から満鉄に移り、さらに松岡洋右の斡旋で
聯合通信社の政治部記者に。昭和10年、再び松岡の命で満鉄に
呼び戻され、華北に。華北では支那駐屯軍の嘱託として、
盧溝橋事件に遭遇し、通洲事件では危うく難を逃れ、
中華臨時政府の設立に関わり、王蔭泰を説得して引き出した。
汪兆銘工作には、海軍側の依頼で加わり、そのまま国民政府で
食料計画などを担当。その後北京に帰り、身柄を満鉄から
華北交通に移すと、食料集積計画を担当するも、昭和19年12月、
突如、共産党員の疑いをかけられ、憲兵隊に逮捕される。
終戦で一旦娑婆に戻るが、今度は国民党に中国侵害罪で逮捕され、
死刑判決を受けてしまう。
本書は著者の中国での20年近くに渡る生活の回想録であり、
内容的には、中国を侵略する日本軍閥の有様と、日中友好を
願いながら、思うに任せず苦悩する主人公(著者)、
という割合ありふれたものである。満洲事変前に石原莞爾と
知り合い、その日本軍人離れした思想に感銘を受けるというのも
よくある話だが、一応実話であろう。藍衣社に暗殺されかかった
ところを、昔助けた美人の中国共産党員によって救われるなど、
事実は小説より奇といったところか。そういえばこの人、満洲に
渡るのも、婚約者ある女性との恋に破れたことが原因であったし、
最後に命を助けてくれるのも、親しくしていた中国人姉妹で
あったし、中々の艶福家です。
面白かったところは、盧溝橋事件前の支那駐屯軍司令部内の
ぎすぎすした様子が描かれているところとか、唐紹儀暗殺の
内幕とか。
それから松岡洋右に関する記述も興味深い。やはり松岡はある種の
天才ではあったなと思う。
一つどうしてもわからないことは、本書のある部分が、
田村真作の『愚かなる戦争』という本と極めて似ているという
こと。引用しているというわけではなさそうだし・・・
う〜 ん・・・わからん・・・
『北京燃ゆ 義和団事変とモリソン』ウッドハウス暎子著 東洋経済新報社
山東省の片隅で起こった拳匪の反乱は、1900年の5月には北京に達した。6月11日、日本公使館員杉山彬が義和団に斬殺され、危機感を高めた列国公使館も防備を固め始めた。しかし、総理衙門はこれを取り締まるどころか、あべこべに聯合国に最後通牒を突き付ける。6月20日、総理衙門へ交渉に向かったドイツ公使ケテラーが射殺され、進退窮まった十一カ国の公使館員とその家族、居留民らは、篭城を開始した。取り囲む軍勢は、義和団に清国官軍も加わり凡そ三万。それに対して列国軍は義勇兵を含めても僅か五百であった。
8月15日に日本を中心とした聯合軍に解放されるまでの約二ヶ月、この大劣勢の中、交民巷を守り抜く原動力となったのは、柴五郎陸軍砲兵中佐に率いられた日本人達であった。
本書において著者は、ロンドンタイムス記者モリソンを始めとした、篭城に参加した欧米人の日記等をふんだんに引用しながら、日本人の活躍を生き生きと描き出している。
「日本軍を指揮した柴中佐は、篭城中のどの国の士官よりも有能で経験も豊であったばかりか、誰からも好かれ尊敬された」(ピーター・フレミング)
「柴中佐は小柄な素晴らしい人です。彼が交民巷で現在の地位を占めるようになったのは、一に彼の知力と実行力によるものです。なぜならば、第一回目の朝の会議では、各国公使も守備隊指揮官も別に柴中佐の見解を求めようとはしませんでしたし、柴中佐もとくに発言しようとはしなかったと思います。でも、今ではすべてが変わりました。柴中佐は王府での絶え間無い激戦で怪腕を奮い、偉大な将校であることを実証したからです。だから今では、すべての国の指揮官が、柴中佐の見解と支援を求めるようになったのです」(P・C・スミス嬢)
「彼(柴)の部下の日本兵は、いつまでも長時間バリケードの後に勇敢にかまえています。その様子は、芝中佐の下でやはり王府の守備にあたっているイタリア兵とは大違いです」(同上)
「この小男(柴)は、いつのまにか混乱を秩序へまとめこんでいた。(中略)ぼくは自分がすでにこの小男に傾倒していることを感じる。ぼくは間もなく、彼の奴隷になってもいいと思うようになるだろう」(パットナム・ウィール)
「小柄できびきびした柴中佐は、必要な場所には必ずいつでもいる」(G・E・モリソン)
「しかし、彼(柴)はまったく素晴らしい将校だ。事実、清兵は王府の壁を突き破って突入してきた。しかし、彼らは壁の銃眼の後ろに控えていた日本兵のすさまじい一斉射撃にあって叩き潰された」(ランスロット・ジャイルズ)
「王府は戦略上のキイポジションだ・・・日本兵が王府の守備にあたっていてくれることは、ぼくたち皆にとって非常にラッキーなことだ。もしこれがイタリア兵やオーストリア兵だったとしたら、王府はとっくの昔に敵の手に落ち、ぼくたちは全滅していただろう」(同上)
「七月十二日の夜、日本管轄の王府で激戦がありました。そのときイタリア兵は逃走し、イギリス部署を無防備のまま孤立させたので、イギリス兵たちは大憤慨でした。それに比べて、日本兵はとにかく素晴らしく、みなの賞賛の的になっています」(ジェシー・ランサム)
「絶対といってよいくらいの確かさでその言動を予言できる国民は日本人だけでした・・・私は日本兵が大好きです。彼らは朗らかではつらつとしていて、負傷してもくじけません」(同上)
著者には他に『日露戦争を演出した男モリソン』という著作があり、こちらは現在新潮社から文庫本で出ている。


