近衛読書中隊

挙措において簡素 言語において細心 熱狂において慎重 絶望において堅忍  

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前回

松本氏の本は、小高根氏の本の批判から入っている。しかし私は未だに小高根本を読んでいないので、この点はただそのまま承るしかない。

小高根本によれば、殺された中条大佐は対馬出身で、金という別姓を持っていて、副官の鳥越大尉に対して「自分宛の郵便物に金某という名でくるものがるが、これは少し訳があるのだから諒解してもらいたい」と云ったという。この言葉から鳥越は、中条が実は日本の家に養子に入った朝鮮人ではないかと推察した。さて蓮田が中条大佐を殺害した理由だが、大佐の敗戦に際しての訓示に、「敗戦の責任を天皇に帰し、皇軍の前途を誹謗し、日本精神の壊滅を説く」言辞があったという。さらに大佐は戦況が不利になるにつれ通敵行為を行い、自己の保全だけに務めたという。蓮田はこういった聯隊長の態度に怒って、これを射殺した後、自らも自決したというのだ。こういった情報は大体聯隊副官であった鳥越大尉からのものであり、他にこれといった傍証があるわけでもなかった。小高根氏自身、後に鳥越大尉の人間性に疑いを抱きはじめたにも拘らず、本の内容は一人歩きし、蓮田未亡人も、殺された聯隊長が朝鮮人であったと信じていたという。

これを聞いて、一度自分で調べる必要があるなと感じた松本氏が対馬尋ねると、中条大佐の家は簡単に見つかり、真実が明らかとなった。中条大佐の子息によれば、確かに大佐は養子であるが、実家は”金”ではなく”陳”という大分の農家で、戸籍を見ても正真正銘の日本人であった。しかし確かに陳というのは珍しい苗字である。恐らく大佐は、変な誤解を避けるために予め副官に告げたのだろう。それを副官は、陳と金を聞き間違え、対馬と併せて、大佐は朝鮮人に仕立て上げられてしまった。大佐は典型的な職業軍人で、指揮官としては、少しでも兵隊の損害を減らそうと考えるタイプ。そのため旧部下からは中々慕われていたという。国体に悖る演説や通敵行為などとても想像できない人柄であった。

『帝国陸軍編制総覧』によれば、第46師団隷下の歩兵第123聯隊長中條豊馬大佐は昭和20年7月6日に着任した陸士29期。ところが『陸海軍将官人事総覧』の方の29期の項を見ても、中條(中条)大佐の名前は無い。29期は生きて中将を出した最後の期であるが、この本には相当数の大佐の経歴も収録されている。その中から戦死して進級した人物を除いても、まだ大分いる。そしてそれらの多くは聯隊長である。しかし中条大佐の名前は無い。29期で終戦時に聯隊長であった人物で、この本に載らなかった人が、中条大佐以外にいるかどうかまでは、さすがに調べる気にならないが、どうも何ならかの意図を持って省かれた気が、私はする。

ところで松本氏は、対馬での取材を終え、中条大佐が通敵行為を行うような卑劣漢ではなかったと考え、ほっとする。蓮田はそのような小さな理由で、聯隊長を殺したのではないのだと。


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