近衛読書中隊

挙措において簡素 言語において細心 熱狂において慎重 絶望において堅忍  

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鳥尾の変節
貴族院議員のとき、当時司法大臣だった山田顕義が仏人のボアナソードを顧問にして、法改正を断行しようとした。ところが鳥尾小弥太はこれに大反対だという。議員を糾合し反対意見を滔々と述べ、どうか明日の議会でも自分に賛成してほしいという。貴族院きっての能弁家の鳥尾に、集まった者は皆賛成し、法改正に反対するとした。翌日の議会で、鳥尾は演壇に立った。無論法改正に反対の演説をするのだろうと思っていたところ、なんと法改正に大賛成だという意見を長々と述べるのである。議員たちは呆気に取られ、そして靴を踏み鳴らし、野次を飛ばして、彼の演説を妨害にかかった。それに対し、自分の変節を棚に上げて激怒した鳥尾は、辞表を叩きつけて帰ってしまった。一体鳥尾という男は、よく議論の変わる男だ。これは欲得から来るのではなく、あの男の性質で、こっちが良いと思えば、ころっと豹変するのである。こんなことは一度や二度ではない。しかし放ってはおけないし、伊藤も頼むので、乃公はその晩鳥尾の家を訪ねた。
「君、今日のことは伊藤が悪いわけではないだろう。君が自ら招いたことじゃないか。大体昨日と今日でまるで議論が違う。皆が怒るのは当然だ。何も伊藤がやらせたんじゃない」
と説いたが、鳥尾は得意の弁舌を振るって何やらグチャグチャ言う。そこで、
「議論では君にはかなわない。君の話を聞いてたら日が暮れる」
と、ストーブの前にあった焼けた鉄の棒を引き付けた。これには奴さんも痛い目にあっているので、
「それじゃあ君の言うとおりにしよう」
と折れた。そこで、
「これは返すぜ。もう蒸し返すなよ」
と辞表を返して帰り、金子堅太郎を呼んで、うまくいったことを伊藤に伝えさせた。
そもそも鳥尾が一夜にして180度態度を変えたのは、山田に泣きつかれたからだ。山田はあの法改正に多年努力してきた。それに鳥尾が反対だと聞くと、早速あれのところに赴き、自分の長年の苦労と、国際環境を涙をふるって説いた。鳥尾はこれに動かされたのだ。彼にはこういう話がたくさんある。

地租改正に反対
明治31年の地租増徴に乃公は反対した。しかしこれは、軍備増強は大切であるが、そのために国家の財源である農民を苦しめ、これを涸らしてしまっては元も子もないと考えたから反対したんだ。単に政略上から反対した大隈重信なんかとは違う。このとき、演説で北越地方へ向かったが、星亨が乃公を信州で止めようと、壮士なんかを動員した。上田である宿屋に泊まったが、その主人が博徒の親玉か何かであった。風呂上り、部屋に戻る途中、ふと仏壇が目に入ったので、いつもの習慣で軽く頭を下げて通った。ところがそれを目にした主人が、
「ありがたい。かかあの位牌に頭を下げてくだすった。もう俺は誰が何と言ってもこのお方をお助けする」
といって力みだした。この主人、実は反対党に買収されて、乃公を妨害するつもりだったらしい。これのお陰で星に送り込まれた壮士たちも、どうすることもできなかった。

会津松平家救助
旧会津藩主の松平家が非常に逼迫していると言う話をきいた。逆賊とはいえ、あの時代、最後まで首尾一貫していたのは、長州と会津だけだ。何とかしてやりたいと思って、山縣に相談したが、煮え切らない態度だ。そこで田中光顕にももちかけたら、
「会津は自業自得だ。戊辰戦争のとき官軍を相手に随分酷いことをやった。自分は警視総監をやったときに、直接会津の者から聞いている」
と言うので、
「君は戦争に出てないから知らないだろうが、官軍も随分酷いことをしたんだぜ。会津の用人を焼き殺したり、負傷者を地雷火に掛けたり、生き胆をとったりと。君は戦争に言ってないから知るまいが、乃公は実地でよく知っている」
と言うと、田中は驚いている。
「それに会津は先帝の御宸襟を受けている。これが表に出ると厄介だぞ」
と言うと、
「それは大変だ。君は見たのか」
「勿論拝見した」
「それは世に出ると困る」
「だから何とか御救助を願いたいというのだよ」
ということで、幾らかの御下賜金が出て、松平家も一息つけた。

同志会結党前後
が政党を結成すると言うて、乃公に相談を持ちかけてきた。乃公は、少し遅きに失したと思ったが、それでも色々激励してやった。このとき桂は山縣と大分疎遠になっていた。その後、久々に山縣を訪ねると、
「桂という奴は、雪隠でも腹を切れない男だ」
と中々の剣幕だ。そこで
「これは意外だ。桂は政党を結成するというのを君に相談しなかったのか」
と言うと
「いや、それは相談したけども」
「それなら、今頃ゴチャゴチャ言うのはおかしいじゃないか」
それでも山縣は暫く、桂に対する悪口を止めなかった。そのうち取り巻きの官僚連が帰ったので、
「大体、君の情報は偏っている。君のところに来るのは、あんたに阿る人物か官僚臭のする奴ばっかりじゃないか」
と言うと、
「いや我輩も野にある人物から聞いている」
と言うので、
「そりゃ誰だ」
と問うと
「君の嫌いな松下軍治や秋山定輔だ」
と言う。
「札付きばっかりじゃないか」
「じゃあ誰が良いんだ?犬養か?」
乃公が犬養を贔屓にしているというので、山縣は会うたびに犬養がどうのと、嘲弄するのだ。
「しかし犬養も最近大分何だの。色々聞いとるよ」
と言うので、
「いや、あいつは金をもらってどうこうできる人間じゃない。全くの離間中傷策だ。冤罪だ」
と弁護しておいた。それから間もなく桂も死に、立憲同志会は憲政会になった。


続く
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