近衛読書中隊

挙措において簡素 言語において細心 熱狂において慎重 絶望において堅忍  

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北一輝といえば、ずっと気になっていながらなかなか情報が集まらないのが、北西田の裁判で判士長を務めた吉田悳中将。生まれは東京だが、本籍は石原と同じ庄内。

北西田処刑という陸軍当局の方針に対し、死刑の要件を満たしていないと真っ向から反対し、藤室良輔らと対立した人物。

後に最後の騎兵監として、多くの反対を押し切って騎兵の機械化を断行するなど、優秀な将軍であり、徳王自伝に出てくるエピから、人格的にも優れた人であったようだが、如何せん情報が少ない。ずっと満洲にいて戦功がないということで、大将に昇進せず、予備役に入れられてしまったのも痛い。

一方藤室は、陸軍史上初めて地幼、中幼、陸士、陸大をすべて首席で卒業した人で、身長も180cmを優に超えていた大男。総身に知恵が回りすぎるくらい回るとは、井本参謀の言葉だったか。

ちなみに地方幼年学校第1期生は陸士15期にあたるので、藤室は12年目で初の快挙ということになる。彼以降3人が達成した。

藤室は欧州からの帰途の船上でこの事件を聞き、神戸に上陸すると荷物をまとめ服装を改め、「真崎憲兵」に逮捕されるのを静かに待ったと、後に語ったような人物。

吉田は藤室に手紙を送って翻意を促したが(この手紙は順逆の昭和史などで引用されている)、藤室はこれを黙殺した。後に同期の谷田勇に「貴様あのときほんとうはどう思ったんだ」と問われ、「中央の意思を承けている俺としては、ああいうほかなかったんだ」と答えたとか。

藤室は北西田だけではなく、真崎の極刑も強く主張した。その真崎に無罪を言い渡したのが、予備役大将の磯村年だ。息子は陸大主席の少将だが、終戦前に墜死した。その息子はNHKのアナウンサー。



ことほど左様に、2・26というのは、語りつくされているようで、まだまだいくらでも鉱脈がある。
私の”特集”が遅々として進まず、いまだに昭和にすら達しないのもしょうがないのである。
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