近衛読書中隊

挙措において簡素 言語において細心 熱狂において慎重 絶望において堅忍  

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上層部の動きばかり追ってきたので、ここらで中堅どころに目を移します。ここでは舩木繁『岡村寧次大将』河出書房新社を中心に『秘録永田鉄山』芙蓉書房、須山幸雄『作戦の鬼小畑敏四郎』同上、沖修二『至誠通天山下奉文』秋田書店などを参考に筆を進めたいと思います。

大正10年(1921)6月18日、歩兵少佐岡村寧次らを乗せた船が横浜を出港した。病身の妻を残しての欧米長期出張には不安もあったが、欧州に駐在する親友小畑敏四郎永田鉄山との再会は楽しみであった。

ニューヨークでは好きな野球を観戦し、その後イギリスを経て、8月20日夜、ベルンに到着、永田の出迎えを受けた。翌日は永田とその前任者梅津美治郎の3人で会食、痛飲した。

9月6日、オーストリアを抜けベルリンに到着。そこには、ロシア大使館附武官に補されながら、ソ連政府の承認が受けられず入国できずにいる小畑が待っていた。岡村は、このベルリンを拠点に欧州各地を歴訪することに決めた。

10月8日、ライプチヒに東條英機山下奉文両少佐を訪ねた。二人は欧州大戦の最中、スイス公使館附として共に働き、この年揃ってドイツ駐在となっていた。後に犬猿の仲となる二人であるが、この頃は非常に仲が良かった。「あれほど仲の良かった二人が大東亜戦をまえにして離れ離れになったということは、わたしには、なんだか不思議でならない。事情もあったろうが、あの二人がしっかりと手を握っていてくれたならば、日本の歴史も少しは変わっていただろう」とは、スイスドイツ時代を通じて二人と行動を共にしていた河辺正三の述懐である。

10月27日(木)
7時過ぎ小畑と共に出て伯林発 途中囲碁をなしつつ午後10時50分バーデン・バーデン着 永田と固き握手をなし三名共第一流ホテルステファニーに投宿 快談1時に及び隣客より小言を言われて就寝す

 この、隣客のクレームで打ち切られた雑談こそが、戦後、高宮太平『軍国太平記』などで一躍有名になったバーデン・バーデンの密約である。この会談を、その後の陸軍の進路を決める重大な陰謀のように書く人は多いが、実際は”閥族打破”といった人事面の抽象的な話に終始したようだ。

3人は何れも陸士16期で親友同士。当時は37,8歳であった。地方幼年学校は小畑が大阪(卒業席次1番)、残りの二人が東京(永田同3番、岡村同4番)。中央幼年学校は永田が2番、小畑が8番、岡村10番。陸士は永田が歩兵科恩賜で全体でもトップ。小畑は全体で5番、岡村は6番であったが、兵科の関係から恩賜には漏れた。参考URL

陸大は永田と小畑が23期。それぞれ2番、6番で卒業し恩賜の軍刀を頂いた。岡村は2年遅れの25期で卒業席次は8番、惜しくも恩賜には届かなかった。参考URL 卒業後は小畑がロシア、永田がドイツ、岡村が支那にそれぞれ駐在した。

小畑家は長宗我部の遺臣の土佐郷士であった。敏四郎の父美稲は、土佐勤王党に加盟し、武市半平太らと共に下獄された。維新後は司法官となり、後に元老院議官に親任され、男爵の爵位を授けられた。敏四郎は土佐っぽらしい硬骨と切れ味鋭い頭脳の持ち主であった。

永田家は代々医者の家柄であった。鉄山は、小畑とはまた一味違った偉材で、その頭脳は”永田の前に永田なし、永田の後に永田なし”とまで云われた。思考のスケールが大きく、人の意見もよく聞いた。性格は円転滑脱、遊ぶときは遊ぶといった切換えが利いた。

岡村家は200年続いた旗本で、寧次も生粋の江戸っ子であった。父は早くに亡くなったが、賢夫人の誉れ高い母親に育てられた。彼は必然的に母親っ子であった。40過ぎてからの日記に、”朝出掛けに母と言い争いをしてきた。いまでも胸騒ぎがして心臓がドキドキする”というようなことを書く人であった。学校の成績は永田小畑に一歩譲ったが、その柔軟な性格で二人の間をうまく取り持っていた。

三人とも将来陸軍を背負って立つことが嘱望される逸材であった。その彼らが第一次世界大戦を目の当たりにしたのだ。ショックを受けるのは当然である。振り返ってわが陸軍を見れば、日露戦争から殆ど進歩がない。人事は相変わらず長州が壟断している。自分たちが何とかしなければという、若きエリートの使命感と、外地にいることによる高揚感が噴出したのがこのバーデン・バーデンの会談であろう。満蒙政策などの対外政策は一切話し合われていないというのが、当事者岡村の証言である。

岡村は帰国後、戦乱の中国に赴任した。翌年には小畑が帰朝し、陸大教官となった。一番遅れて帰朝した永田は、陸大教官を経て、軍事課高級課員となり、既述のとおり宇垣の軍備整理計画を支えた。そして、軍縮と平行して進められていた陸軍省の官制改正によって新設された整備局動員課の初代課長に就任した。このとき既に彼の頭脳には、国家総動員体制作りの青写真が描かれていたのかもしれない。




久々の更新です。
FF12。
まあそういうことです。
これはじめてからはほかの事は全く手に付かない。
永田鉄山のようにはいかんです。
今レベルは40台。ラスダン突入寸前ですが、
往くべきか往かざるべきか。
しかしモブハントも召還獣集めも
もう一つやりがいにかけるというか。
しかしこの世界観は結構好きです。
何となくFFTを引っ張り出したくなる。
スターウォーズだ指輪だといわれますが、
私はそれに風の谷のナウシカ(漫画版)も入ってるように思います。

セリーグも開幕しましたね。JFK崩壊(3/4壊)はまあ予想通りです。
おっさん連中も去年以上の成績は望めんでしょう。
後はどれだけ新戦力が出てくるかですが、これも期待薄ですな。
やっぱり高卒でガーンと来る選手が欲しい。
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メール読んだよ そんな、照れるな 光栄っす。
いつもながら、昨日はありがとう。

日々の更新って大変なことだよねumm

ちょくちょく覗きにきますわw

2006.04.02 23:09 URL | ダイビッツ #- [ 編集 ]

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2006.04.05 15:57 URL | 人気ブログランキング・ブログ検索「ランブロ」管理人 #- [ 編集 ]













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