近衛読書中隊

挙措において簡素 言語において細心 熱狂において慎重 絶望において堅忍  

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    5-1 若松只一第二部長時代
  • 若松少将はドイツ畑を歩んだ人で、その性格からいっても親独的にならざるを得なかった。
  • 第八課の前身第四班は部内の予算などを担当する総合班であったが、課に格上げされ謀略課という通称を戴いたことから、情報の本筋を離れ宣伝謀略に傾いていき、第一部の強硬意見に追随する傾向が強くなった。
  • 当時ドイツ大使館はオットー大使、スターマー武官以下、盛んに日本にシンガポール攻撃を売り込んでいた。
  • ドイツ経済使節団が来日し、中国におけるドイツ権益の保障などを求めた。ドイツの国内経済が傾きつつある事が看取できたがドイツの戦争遂行能力に無関心な日本軍は彼らの言い分を良く聞いて、協力を惜しまなかった。
  • 米英に関する情報について陸軍は、参本英米班より海軍の情報に信を置く傾向にあった。
  • アメリカを訪れた筆者は西山勉財務官に「日本では大東亜共栄圏などと言っているがとんでもない。それは大東亜共貧圏を意味するもので、絶対日米戦争などすべきでない」と激励された。シカゴで会ったドーズは「スチムソンは極めて危険な狂人的な人物で何をやらかすかわからないので、日本も注意する要がある」と忠告された。
  • 帰国した筆者は、欧米課長にドイツ系で作戦畑出身の天野正一大佐(32期、少将)が就いていることに非常なショックを受けた。
  • 在スウェーデン西村敏雄武官より「独軍の上陸用舟艇は英国本土上陸作戦に必要なだけ揃っていない。本土上陸作戦の可能性はない」との打電があったが、若松部長はこれを読んで「ドイツに不利な情報報告は良くない」との注意を西村武官に与えるよう指示した。これは林三郎ロシア課高級部員の意見具申で取り止められた。
  • 在ドイツの桜井一郎中佐(36期、大佐)は、独軍の上陸用舟艇が敵前上陸に不適である事を発見し、在ドイツ武官に通報していたが、これが東京に報告されたかは不明。
  • 野村直邦海軍中将は「ドイツの英国に対する攻撃はドイツの成功に終わる」と軍令部に報告してきた。
  • 在スウェーデン小野寺武官は、エストニアやポーランドの亡命将校から、ドイツが対ソ戦準備をしているという情報を得て在欧州武官会議で報告したが、大島大使秘書官西郷従吾中佐(36期、大佐)に「大使と共に各戦線を視察して回ったが、独軍は対英本土上陸作戦の準備中である」と否定された。


    5-2 岡本清福第二部長時代
  • 岡本少将はドイツ系で主に作戦畑を歩んだ優秀で誠実勤勉な将校であったが、英米に対する認識は殆ど無かった。田中新一第一部長の威圧的な性格もあって、第二部は岡本部長就任以来、第一部に従属的な態度を示すようになった。
  • ウォルシュ、ドラウトを介した日米交渉に、強烈な枢軸派であった岩畔大佐が出てきたことで、アメリカ側はこの交渉に不信感を持った。
  • 在米海軍将校がアメリカ当局に逮捕される事件が相次いだ。
  • 16年、総力戦研究所が設立された。これは大正年間から酒井鎬次中佐が提唱していたもので、英国帰りの辰巳大佐が強くこの種の機関の必要性を訴え、軍事課高級課員西浦進中佐がそれに賛同してできたものであった。
  • 6月3日、ヒトラーより大島に独ソ開戦が近いという直話があっても、日本はドイツに心酔しきっており、松岡外相や建川駐ソ大使の「独ソ戦は有り得ない」という報告もあって、6月6日の時点でさえ「独ソ協定60パーセント、開戦40パーセント」と天皇に上奏する始末であった。
  • 6月28日になってようやく纏められた『情勢の推移に伴う帝國国策要綱』には「本目的達成のため対米戦を辞せず」との一文があった。これを知った筆者は有末次大佐塚田攻次長を尋ねその真意を質した。有末は「あれは言葉のアヤで、あのように書かないと各方面の合意を得られなかった」と述べた。塚田は「外国勤務の経験が無いので意見があれば遠慮なく申し出よ。支那事変解決に努力を傾注することにはなんら変化ない」と述べた。
  • ドイツより帰国した山下中将は「日本は隠忍自重国力を培養し軍の近代化を図るべきである」との意見を東條陸相に具申した。
  • 関特演にロシア課は反対であった。
  • 当時第一部でアメリカを知るものは僅かに久門有文中佐一人であった。
  • 8月22日、軍令部作戦課はハワイ奇襲案を参本作戦課に提示してきた。
  • アメリカは近衛を全然信用していなかった。
  • 辻政信は近衛が日米交渉に向かう場合、六郷橋を吹っ飛ばして爆殺する計画を立てていた。
  • 10月1日、陸軍大学校で塚田次長統裁の南方作戦図演が行われ、その席上で第十四軍参謀長充用予定の前田少将が「米比軍がバターン半島に逃避する場合に関する第十四軍の使命は」と質問した。大本営の答えは「軍の使命に変化なし」であった。
  • 朝日新聞など日米決裂を一面で派手に扱い、米軍将兵の士気の低さを盛んに書きたてた。
  • 海軍は、南洋委任統治領は海軍の勢力圏であると考え、陸軍軍人が視察に行く事すら好まなかった。
  • 第二部には桑木、沢田、酒井鎬次、橋本群各予備役中将が顧問として時々顔を出し、助言を与えていた。
  • モスクワより帰任した山岡道武大佐(32期、少将)は「独ソ和平によりソ連を枢軸陣営に引き入れるか、或は日独による徹底的対ソ戦によるソ連覆滅か、いずれかを実現しなければソ連は日本にとって今次戦争における最大にして最後の癌となるであろう」と報告した。
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