近衛読書中隊

挙措において簡素 言語において細心 熱狂において慎重 絶望において堅忍  

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澤地久枝『火はわが胸中にあり 忘れられた近衛兵士の反乱 竹橋事件』岩波書店

角川から出ていたものを、岩波現代文庫が再販した。実に53名もの下士官兵が銃殺された竹橋事件を描いた力作。文庫本ながら千円を超えるがその値打ちはあると思う。まあ岡本柳之助を中心人物とした陰謀論は、後の『雪は汚れていた』を予感させるに十分で、やや苦笑したが、これはもう著者の癖と思うのが良いだろう。

士官で最も重い処罰を受けたのは兵卒たちの不満に理解を示していたと言われる内山定吾少尉だった。内山は無期徒刑の判決を受け、釧路へ流された。彼には当時陸軍士官学校で士官生徒の3期生だった弟がいたが、この弟は常に同期のトップをきって昇進し、そこに兄が受刑者であるという影響は感じられない。弟とは内山小二郎大将である。事件当時定吾は既に銑という女性と結婚していた。内山家では銑を小二郎に配することにしたが、陸軍省がこの結婚を認めなかったため、二人の間の長男は庶子ということになった。これが後の中将内山英太郎である。英太郎が一歳のとき、大赦によって定吾が帰ってきた。銑がその後どうなったのかは分からないが、小二郎は田中綱常海軍少将の娘と再婚している。彼は息子に”英雄豪傑”から一文字ずつをつけたが、少なくともその長男には以上のような事情があった。英太郎は定吾の養嗣子になったと書いているが本当だろうか。これが本当なら彼を内山小二郎の跡取りとするのは間違いとなるが。

英太郎は定吾について「まことに気の毒な人生であった」と常々語っていたそうだ。毎年彼岸に青山の近衛鎮台砲兵之墓に花を手向ける人が居たが、それが途絶えたのは英太郎が亡くなった昭和48年前後のことであったそうだ。謹厳な実父とは対照的な遊び人のぼんぼんと言われた英太郎中将の以外な一側面である。



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