近衛読書中隊

挙措において簡素 言語において細心 熱狂において慎重 絶望において堅忍  

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三日目は日曜日で休廷であった。山形少佐はほかの収監者とともに、朝食をすませた直後、やってきた護衛兵に連行される。少佐としては、その後の裁判の打ち合わせでもあろうかと思っていたらしい、元気に出かけていった。夕刻になって、収監者たちが並んで便所に連れて行かれるときであった。二列縦隊になり、まさに行進しようとしたとき、玄関前の広場にとまっていた一台の囚人自動車の中から
「山形参謀、銃殺!」
というすさまじい絶叫が聞こえた。聞きおぼえのある声であった。自動車はそのまま遠ざかって行く。一同は便所に入って用を足しながら語り合い、”車の隙間からわれわれの隊列を認めた山形少佐が、自分にくだされた判決と処刑のことを私どもに伝えようとした血の絶叫だ”という結論に達したという。どこでどのように処刑されたのか、その後、山形少佐の姿を見た者はだれもいない。

岩川隆『孤島の土となるとも』 第七章 ソ連裁判ーハバロフスク裁判より

ソ連や中国共産党が戦犯を処刑しなかったなどという話は、綜合的に見れば寝言以外の何物でもないわけだが、それはそれとして、今回は別の話。

肩から縄をぶら下げた参謀という人種は、特に我が帝国陸軍を語る上では欠くべからざる人々である。時には指揮官以上の役割を果たすことともあった。しかし戦後に行われた戦犯裁判では、意外に影が薄い。特に刑死者は少ない。綿密に調べたわけではないが、陸軍に於いて、参謀時代の責任を問われて処刑された人は10人いないんじゃないだろうか?今、わかる範囲でいうと
  • 平野少佐・・・第147師団参謀。終戦の日8月15日に起こった英国搭乗員処刑の罪で香港にて銃殺。
  • 馬杉中佐・・・第46師団参謀。チャンギーで絞首刑。
  • 甲村中佐・・・独混第57旅団参謀。パレンバンに降下した挺進第2聯隊長。モロタイで銃殺。
  • 上原中佐・・・遺書に依れば藤兵団参謀長。藤兵団というのは第39師団(通称・藤)ではなく、バタンガスで暴れまわった藤重大佐(後に少将)の偽装兵団を指す。マニラで聯隊長共々絞首刑。
  • 田沢中佐・・・チャンギーで絞首刑。遺書に「参謀として働き」とある。
  • 鏑木少将・・・第34軍参謀長時代に起こった漢口での米軍搭乗員殺害事件の責任者として上海で絞首刑。この事件では軍命令で、部下に殺害を命じた憲兵分隊長が、「全責任を負」うと書いて自決したが、結局軍参謀長の他に、実行者の憲兵准尉らが絞首刑となった(軍司令官佐野中将は戦中に病死)。鏑木少将は次のような遺書を残している。

漢口米軍俘虜惨虐事件に就ては当時呂武集団参謀長たりし小官の不注意の為予期外の事態を惹起し聖戦の意義に汚点を印し軍の名誉を損じ加ふるに多数の将兵に重刑者を出すに至りし段真に申し訳なくて謹で御詫び申上候。殊に上官の命令の儘行動し重刑に処せられたる下士官兵の上を思へば断腸の至りに御座候。本日公判にて死刑の宣告を受くるに臨み謹て御詫び申上且つ従前の御懇情を深謝仕候。


これだけである。

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