近衛読書中隊

挙措において簡素 言語において細心 熱狂において慎重 絶望において堅忍  

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まず一つの説を紹介します。これは当時報知新聞の記者だった佐野増彦氏が、月刊現代の1992年9月~12月号に連載した『裁かれる昭和 最後の証言=日本陸軍亡国秘録』という記事の第四回からの引用です。

 植田司令官と板垣陸相の間で、出せ、出さないとやっている間に、東条の巧妙な″多田潰し″が始まるのです。
 第一弾は八月二十八日、夕刊の締め切り間際ギリギリに同盟通信から「後任陸相は磯谷廉介中将」という情報です。これは、憲兵隊が同盟通信にリークして、新聞社に流されたものですが、各紙は大きく取り上げてしまったのです。
 僕ら陸軍省を担当している記者は、すでに後任陸相は第三軍司令官の多田駿に決まっているのを知っていましたから、この誤報にはびっくりしたものです。さすがに毎日新聞だけは最終版で「後任陸相は多田駿」と書きましたが、要するに磯谷を強く印象づけることで、多田の影を薄くしてしまおうという狙いの情報操作です。
 第二弾は、「陛下が磯谷や多田は信任しない。後任は梅津か畑だ」といったという怪情報が、陸軍省や参謀本部に流されたことです。天皇は、閣員名簿奉呈時にたまに意見をいわれることはあっても、情報段階で意見を述べることなど考えられません。まして磯谷は候補者でもなく、三長官会議で名前すら出ていない人物について天皇が「信任しない」というわけがない。これは宮中を巻き込んだ謀略です。前述したように憲兵隊は、一時間おきに板垣陸相の行動を逐一チェックしていて、全神経を集中して後任陸相の情報を取っていました。当然、後任陸相が多田に決まったということも知っているわけです。その憲兵隊が磯谷陸相を流すのはまったく謀略です。
 事実、当時の東京憲兵隊長加藤泊治郎(22期)は、二十八日夜、内務大臣木戸幸一を訪ね、多田反対の協力を求めているのです。
〔木戸日記〕昭和十四年八月二十八日
……午後八時、加藤〔泊治郎〕憲兵隊長来邸、陸相に多田〔駿〕中将云云の話あるところ、若し之が決行せらるるに於いては、陸軍部内の派閥抗争は一層激化すべしとて非常に苦慮せられ、之が防止方につき相談あり

 加藤は、東条英機が関東憲兵隊司令官当時、奉天憲兵隊長をつとめた東条の腹心中の腹心です。おそらく東条の密命を帯びて木戸を訪ねたものと思われます。
 先月号で触れたように多田と東条は、犬猿の仲ですから、東条にしてみれば多田が陸相に就任すると自分が飛ばされるのは目に見えている。東条が一派を挙げ多田潰しに奔走したのは分かります。
 板垣陸相は、こういう揺さぶりに弱く、多田の陸相案を白紙に戻して、三長官持ち回り会議で、後任陸相に畑俊六を決めました。板垣は少くとも侍従武官長を通じて、三長官会議で後任に多田を決めた事情を内奏すべきでした。三長官会議で決まった陸相候補が大臣に就任しなかったのは、後にも先にも多田中将ただ一人です。
 東条一派の工作が見事に成功したわけです。さすがに憲兵の情報工作はうまいものだなと思いました。

佐野氏は陸軍担当の政治部記者で、宇垣一成や畑俊六、永田鉄山らと親しく、特に磯谷廉介からの信頼の厚さは格別で、磯谷が香港総督をしていたとき、招聘されて彼の下で新聞班長を務めています。

まず第一弾について。これを解釈するとこうなりますか。
”多田はOKだけど磯谷にはマイナスイメージがある。その磯谷を前面に押し出すことによって、次の陸相候補そのもののイメージを落とした”
誰よりも磯谷に親近していた佐野氏の論としてはやや皮肉ですが、それでは磯谷のマイナスイメージというのは何か?ノモンハンは陸軍内部では大問題でしたが、宮中ではそれほどでもなかったようです。佐野氏は、磯谷が孫文と親しかったことが一つあるのではないかと言っています。思想問題というのが宮中では非常にセンシティブな問題であったのは確かですが、それにしてもそれだけでは弱すぎます。リース・ロス(イギリス人)の幣制改革に反対したことがありましたが、やはりアピールとしては弱いでしょう。なんぼ陛下が親英派だとしても。

第二弾についてですが、実際陛下は「後任は梅津か畑だ」みたいなことを阿部に言ってるわけです。佐野氏がそのことを知らなかったのか、或いは阿部の参内以前からそういう噂が流れていたのか。多分後者だと思うんですが、ちょっと裏付けが取れないので鵜呑みにはできないですね。僅かに額田坦がそれらしいことを書いていますが。それに加藤が木戸を訪ねたのは午後8時、阿部の参内が9時前。幾らなんでも薬の効きが早すぎます。

要するに佐野氏は、東條の計画が何から何まで図に当たり、目障りな多田、磯谷を潰したと言ってる訳です。しかし対象が近衛ぐらいなら、或いはそういうことも可能だったかも知れませんが、天皇陛下が相手ですからね。東條派が色々と策動したのは確かでしょうが、真因はそこではないように思います。次回は陛下がどう考えておられたのか探ってみます。




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