近衛読書中隊

挙措において簡素 言語において細心 熱狂において慎重 絶望において堅忍  

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先月読んだ本の書評。済ませごとみたいであれだけど。

『レイテの名将 片岡董』細田 昌
レイテの第一師団長片岡董中将の評伝。彼の実家は城崎の旅館、三木屋
志賀直哉は片岡の実家に逗留して『城崎にて』を書いたそうだ。
戦後、レイテで彼の師団と相対した米国軍人が、わざわざ訪ねてきたが、その名前をフルベッキといった。彼の祖父はあのフルベッキ

『町尻量基追悼録』
インドシナ駐屯軍司令官町尻量基中将の追悼録。中将は壬生家の三男で、大正3年に町尻家を継いだ。実父は七卿落ちの壬生基修。
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/M/mibu_mo.html
長女は天覧試合優勝の野間恒に嫁いだが、野間は夭折した。
http://episode.kingendaikeizu.net/26.htm
小学生のとき京都から、学習院に転校してきた。学習院そばの石光真臣(真清の弟)の家にピンポンダッシュをして遊んでいたら、ある日門内で待ち伏せされて、みんな捕まったということがあった。
温厚で頭脳明晰な君子人のため、少し難しい役職に、火消し的に使われることがまま
あった。同期の石原莞爾とは大変仲が良かった。頬のコブが命取りとなり、終戦後まもなく逝去。

『荒木将軍の実像』橘川学
荒木貞夫の評伝。高宮太平の『昭和の将帥』に、林銑十郎が陸軍大臣を辞める辞めないで騒ぎになったとき、偶々彼(高宮)が真崎邸で、真崎甚三郎と荒木の電話を盗み聞きしたときの話が出てくる。しかし、この本の著者は、あれは高宮が最初からそのつもりで、酔った振りをして真崎邸の押入れで狸寝入りを決め込み、他の記者が帰るのを待っていたと書いている。まあどっちでもよい話だが。
ちなみに荒木家は無茶苦茶貧乏だったが、彼が醤油屋の丁稚をしていたというのは嘘との事。

『8月17日、ソ連軍上陸す』大野芳
まだ精読はしていない。
題名の通り占守島の戦いの話だが、それだけではなくアッツの玉砕など、あの方面の戦いは一通り触れられている。占守島の戦いは当ブログでも何度か触れてきたが、改めて、なかなか難しいなと思った。遺された方々の間には、記憶にも感情にも行き違いがあるようだ。





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