近衛読書中隊

挙措において簡素 言語において細心 熱狂において慎重 絶望において堅忍  

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工藤美代子『昭和維新の朝 二・二六事件と軍師斎藤瀏』日本経済新聞社
二週前くらいに購入し、一週前には読み終わっていたのですが、感想が遅くなりました。斎藤瀏とその娘の斎藤史の著述を中心に構成されていますが、所々挿入される著者の歴史観がやや気になるという人は居るでしょう。全体としては、毒にも薬にもならないという感じです。無理矢理新機軸を打ち出そうとして、結果として人の心をぐちゃぐちゃにするような人もいますので、これは褒め言葉ですよ。でも理想はやはり斎藤親子の残した本を直接読むことです。これを期に再販とかになれば嬉しいのですが。

まだ今回のお召しを受けるかどうか迷っていたとき、岡野史彦が史に説得の電話を掛けてきた。前年の夏である。
「陛下はその後も勉強しておられるご様子です。例の事件のことを」

「あの歌は、どこでどういう気持ちで作られたのですか」
「いつもの歌作りと同じに、平常心で詠ったつもりでございます」
「お父上は瀏さん、でしたね・・・・・・」

陛下というのは今上陛下を指しますが、恐らく勉強ということなら、先帝陛下もされていたと思います。


ところで最後に、この本にも出てきますが、「秩父宮万歳」を叫んだ将校について。安藤輝三大尉であるというのが通説ですが、保阪正康氏が秩父宮と昭和天皇で、「いや実は栗原安秀中尉だ」という処刑に立ち会った某少佐の証言を引き出していますね。私は正直どちらでも良いと思うのですが、ただ
「安藤がそんな宮様に迷惑のかかるようなことを言うはずがない」
  ↓
「いや実は栗原でした」
みたいな流れが凄く嫌ですね。森田大尉の安藤大尉を思う気持ちも分かりますが、私は安藤大尉が言ったとしてもおかしいとは思いませんし、又それが大尉の遺徳を傷つけるとも思いません。安藤大尉は憤死したのですよ。


   
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