近衛読書中隊

挙措において簡素 言語において細心 熱狂において慎重 絶望において堅忍  

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1914(大正3)年

二月十八日 水 曇
本日食堂に於て、毎日の例に依り彼等長閥の面々、内閣及陸軍大臣を熱罵し、海軍の収賄問題、十六日騒擾に対する衛戍総督の応急準備、陸軍大臣の議会に於ける答弁の辞尻(軍隊内には云々に付、師団長等憤慨すべし云々)(其の実扇動せんとするの自白)、軍隊の不平(彼等の扇動、多分其日の応急準備を命ぜられたる近歩第三連隊長児島等と共謀)、大臣の軍機漏洩(彼等二、三ヶ月後には云々を以て斯く称すれば、大臣も失言には相違なきも、之を公然騒ぎ立つれば軍機漏洩を裏書きする道理にして、之を打消に力むるこそ真の愛国者の行為なるべきに、政権争奪長閥復興に眼暗らみたる彼等は、軍機漏洩に裏書するの(大臣は不用意なる一時の失言なるに、彼等は熟慮の上之を為すなり。軽労倉と重営倉との差は慥かにこれにあり)処置を敢てす、真に悪むべきなり。併まさかに世間には公表せざるなるべし)。余は、山梨が大臣を罵倒するに馬鹿の一語を以てするに至り忍耐も最早断へ果てたるも、修養の効聊か現はれ、怒る代に一笑して、談も此に至れば極端に達せりと独語せしに、彼等も幾らか反省する所ありしにや、今まで口を極めたる陸軍大臣等の誹謗談は有耶無耶と為れり。朋党の利己主義より、軍人の身分をも打忘れ此状態を見る、実に慨嘆の至なり。陸軍の長閥一派、海軍の薩閥一派国軍を破壊するや実に大なり、噫。

上原陸相を増師問題で失い、今また同志の楠瀬陸相をシーメンス事件で失う(勿論楠瀬が直接関わっているのではない)。長州系の陸軍軍人にとっては、日頃眼の敵にしている薩摩系海軍の一大不祥事だけに、楽しくてしょうがないのだろう。十六日騒擾というのはよく分からない。此の頃政府弾劾デモが起こっていたが、それではなさそう。或いは兵隊の間で何かあったのだろうか。衛戍総督とは東京衛戍総督のこと。近衛歩兵第三連隊長児島惣次郎は岡山出身だが、長州閥にべったりと評判のあった人物。
楠瀬大臣の失言、軍機漏洩問題というのは2月14日の議会での答弁のことだと思われる。楠瀬は江木議員に二個師団増設の根拠は何かと聞かれ、「大正五年度になりますれば、シベリア方面の輸送力・・・仮想の敵の満洲方面の集中力が殖える・・・我作戦の大体は、有らん限りの兵力を集めまして接戦をしようと云ふ考でありますから・・・二個師団を増設して、是をば朝鮮に常駐させて置けば、それで兵力均衡上、作戦上の手段を設け得られるのであります」と答えた。そのあまりにも正直な答弁に山本権兵衛首相も慌てて本郷房太郎陸軍次官を呼び、質問した江木議員も「そんなことを尋ねたのではない」と質問を打ち切った。宇都宮は、楠瀬のは確かに失言だが、それの揚げ足を取って喜ぶということは、楠瀬の発言を裏書する行為であり、つい口を滑らせた楠瀬よりよっぽど悪質であると怒っている。それにしても山梨半造、調子良すぎ。それに対しブチ切れそうになりながらも、冷静に皮肉る宇都宮。何か絵が浮かぶ。
ちなみに明治24年に、逆に議員であった予備役中将小沢武雄が、国防の不備を衝く演説を行い、免官(陸軍中将を剥奪)になるという事件があったが、その騒ぎに比べれば、楠瀬は特に何の処罰も受けなかった。しかし山本内閣が潰れると、彼もそのまま待命となり、やがて予備役となる。

四月十八日 土 晴
山梨宛庶務課長の電報に依り、岡新陸相の次官は参謀次長大島健一中将にして、参謀次長は寺内伯の下に朝鮮の憲兵司令官たる明石元二郎中将たることを知る。帝国陸軍に進化せんとせし我陸軍は、茲に再び長閥を中心とせる長州陸軍の旧態に復旧せり、更に一倍の大勇気を要す。或曰く、失敗、失敗、大失敗、世は復び官僚一味の世となれり。敗軍、敗軍、総敗軍、帝国陸軍は今や復び長閥陸軍の古体に復せり。言に一理あり、之を反正するもの誰ぞ。

大隈新内閣の陸軍大臣は長州の岡市之助となり、次官には大島健一が参謀本部から横滑りした。宇都宮にとっては勿論面白くない人事であるが、手の施しようがない。

五月十一日 月 晴
大隈総理侍立、陛下には玉音朗かに「第七師団長に補す」と宣ひ、辞令書は総理大臣より手渡せられ、今日染みじみ師団長の職の重に感ず。

4年半の長きに渡って務めた参謀本部第二部長から、中将に進級の上旭川の第七師団長に転任となった。

六月十四日 日 晴
午前八時より昨日に引き続き砲兵連隊を検閲す。成績甚だ不良。

宇都宮から見た第7師団は問題の多い師団であった。彼はこれを徹底的に鍛えなおすことを心に誓う。

九月十二日 土 曇
福島関東都督名誉進級後備に編入の趣、新聞電報に見えし故、上原中将に問合せ、且つ防止尽力の電報を発せしに、事実との返電至る。一部系統のものヽ人事上の専私、実に残念の至なり。

関東都督(関東軍司令官の前身)の福島安正が、大将に進級と同時に後備役となるという報道を見て、東京で教育総監をしている上原勇作に何とかならないかと電報を打ったところ、もう決定済みでどうにもならないとの返電があった。福島は必ずしも反長州という人物ではなかったが、情報将校として宇都宮にとっては良き先輩であった。

以上で1914年を終わる。東京では千客万来であった宇都宮家も、さすがに旭川ではそうはいかない。しかし隷下の歩兵第十三旅団長は親しい間柄の橋口勇馬であり、歩兵第二十六連隊長はかつての部下で、宇都宮がアメリカ行きに尽力してやったことのある井上一次であった。特に橋口とは家族ぐるみで親しくしている。
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