近衛読書中隊

挙措において簡素 言語において細心 熱狂において慎重 絶望において堅忍  

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1913(大正二)年

一月七日 月 晴
約に依り、午前八時桂総理大臣を三田の自邸に訪ふ。首相は満蒙問題解決(其程度は低く、安奉線、旅大を、出来れば九十九年、已むを得ざれば五十年延期を得て満足せんとするの意を漏せし故(中略))に意あること、其外対露軍事、就中我輸送力増加の事等を談じ、九時三十分辞して参謀本部に出勤。

西園寺公望から桂太郎陸軍大将に首相が変わった。それに伴い陸軍省首脳も
陸軍大臣 上原勇作 → 木越安綱
陸軍次官 岡市之助 → 岡市之助
軍務局長 田中義一 → 柴勝三郎
となった。一方参謀本部は部長以上に変動無しであった。
参謀総長 長谷川好道
参謀次長 大島健一
総務部長 山梨半造
第一部長 由比光衛
第二部長 宇都宮太郎
第三部長 武内 徹
第四部長 重見熊雄
桂は言うまでも無く長州人であったが、山県とはやや一線を画していた。満蒙に対する桂の経綸を聞いた宇都宮は、その欧米列強の目を気にした消極的な態度に物足りなさを覚えたが、あまり強くは追い込まなかった。宇都宮は十七日から約二ヶ月の支那朝鮮視察旅行に出るが、彼が帰国したときには既に桂内閣は倒れ、山本権兵衛海軍大将が首相となっていた。所謂大正政変である。

三月十五日 土 晴
夫れより木挽町万安に於ける歩中尉篠塚義男と軍医監鶴田禎次郎長女との婚礼開に臨席す。(中略)此縁談には夫婦にて多少斡旋する所ありしなり。

去年、長州人の娘と縁談があると言ってきて、宇都宮に渋い顔をさせた篠塚が結婚した。ところが相手が変わっている。なんと相手の父鶴田軍医監は佐賀人。宇都宮夫妻恐るべし!

四月十五日 火 雨
陸軍大臣官制改正に付き次長より、総長は陛下に対し奉り「臣は該改正には反対に御座候へ共、陛下の御思召に任せ奉る云々」と謂が如き意味にて御答申さんとの様に聞取りし故、国家の重臣の御答としては少しく如何かと思ひ、総理大臣、陸軍大臣と協議し、既に宣言したる後の今日に於ては、時局の収拾上陸軍と国民との関係上、余は、
    一、陸軍大臣の官制は、軍事上の見地よりしては現役大中将を
     以てする現制度を尤も適当なりと思考す。
    二、然れども事情之を変更するの止を得ざるものありとすれば、
     同官の職域に必要の変更を加ふることを希望す。
と云ふ意味の意見を陳せり。

二個師団増設とのバーターで山本権兵衛が持出したのがこの陸(海)軍省官制改正。具体的にいえば、陸海軍大臣及び次官に任用されるものは現役の将官のみとしていたところの”現役”の二文字を削ろうというものであった。陸軍省も参謀本部もこれに強く反対した。宇都宮も陸相は現役将軍であることに越したことは無いと考えてはいたが、現在の陸軍に対する国民感情の悪さを考慮すると、拒否を貫くのは難しい。それならこの改正を受け入れた上で、陸相の権限の一部を参謀総長に移管して埋め合わせるべきだと考えていた。

四月十九日 土 晴
過日来陸軍大臣官制改正に長谷川総長、大島次長等反対の意見を陳し、大臣は為めに辞職を声明し本日茅ヶ崎に転地せりと云ふ。爾後の発展誠に懸念すべきなり。長谷川等の背後に黒幕あるや否や尚不明なり。勿論削除の純軍事上見地より好ましからざることは言ふまでも無きことなれども、総理大臣宣言後、陸軍大臣承認後の今日、時局の模様等に連想する時は、其結果に付ては大に考慮せざる可らざるものあるべし。

山本内閣の陸相は桂内閣以来の木越安綱であった。木越は桂から非常に重用されていたが、必ずしも長州閥の人間ではなかった。士官生徒の1期生で、日清戦争では桂をよく補佐した。日露戦争では最年少の師団長として、黒溝台で大きな功を挙げた。木越の情勢判断は宇都宮と同じであった。しかし長谷川総長などは狂ったように反対するし、直属の部下たちも全員反対であった。主務課長である軍事課長の宇垣一成大佐は稟議書の作成をボイコットした。そのため木越は自ら書記に命じて書類を作成し、参謀本部の同意を得ずに内閣に提出した。今に残る稟議書の連帯欄は空白、主務課長欄に一旦押された判子は黒く塗りつぶされている。その代わり「本案に不同意」と書かれた付箋がべたべたと貼られている。それらには軍務局の5つの課の課長の判子が押してある。木越はこの改正を通すと陸相を辞任。閲歴からも大将になって然るべき人物であったが、そのまま待命のち休職、そして後備役に入れられた。    陸軍大臣 木越安綱

四月二十日 日 曇
早朝、渡辺鉄太郎、海軍大佐秋山真之、川島浪速、伊東佑俊等来訪。就中秋山は尤も長座し色々の時事談あり、将来有用の人物に付き、多少肝胆を披きて相語る。

秋山真之は海軍軍人にしては珍しく支那に深い関心を抱く人物であり、宇都宮もその人物を気に入っている。以後よく彼は宇都宮を訪ねてくるようになる。

四月二十四日 木 曇
次長より部長一同を会し、総長は御前に咫尺し官制改革に不同意の旨奏上せしに、陛下は山本総理より詳はしく聴たり、総理の申す通に致置けとの意味の勅諚ありしに、就ては総長は直に辞表を上りて御反省を奉希(彼等の言)か、或は勅諚ありし此上は陸軍大臣の提案には同意し、其成立に就ては総長も責任を分ち然る後徐に辞表を上るか如何とのことに、最早御反省(彼等の言を借用す)の余地は無きものと信ず
(西園寺内閣の打破以来長閥に対する民怨は絶頂に達し、延て陸軍に及び、陸軍は長閥と共に天下の怨府と為り居れり。然るに彼等今尚其閥族の余命を無理に維持せんとて、官制問題なる好題目を借りて再び内閣、少くも陸軍大臣を動かさんとす。真に私の為めに国を誤り軍を誤るものと謂ふべきなり。軍紀地に落ち洪嘆に禁へず。彼等が対西園寺内閣隠謀の結果、陸軍も怨府と為り、官制改革も万已を得ざるに至り、山本の宣言と為りしものにて、改制の主因を作りしものは彼等隠謀者なり。然るに今亦だ純朴なる一部の軍人を引入れ、彼等長閥者流及之に付随せるもの等は、此問題を以て内閣に突撃せんとするものなり。併し事情已を得ずして大体の上より御裁可に相成り勅諚までありしものを御反省などとは、彼等は己れの立場を好くし内閣、殊に大臣を苦めんとするの陰謀と謂ふべきなり。公然総理大臣や陸軍大臣を悪罵し乱臣賊子を以て之を呼ぶに至る。而かも堂々たる部長や総長や責任ある将官の言動なり、軍紀果して何処にありや)。
因て、総長は責を陛下に帰し己を潔するが如き仕打は我長官としては為さしむ可らずと思考し、第二案、即ち勅諚ありし此上は理屈を抜き陸軍大臣の提案に同意し、唯だ大臣の職域に必要の変更を加ふべく、其細件は進で審議せん位のことを付加して陸軍大臣への回答を為し、総長の進退は徐ろに決せられ可然との意見を述べたり。由比、武内等も大抵同意なりしが如し。

長谷川総長が改正反対の上奏をしたところ、逆に天皇陛下に、山本の言うことを聞けと諭されてしまった。この上は辞任するだなんだとパフォーマンス(実際に辞任する気などさらさら無い)を繰り広げる上司に対し、宇都宮の内なる怒りが爆発している。彼に言わせればそもそも山本権兵衛がこのたびのような官制改正を持出したのも長州閥の専制が原因であり、民心が陸軍から離れたのも同様である。にも拘らずそれらを棚に上げ、尚も自分たちの勢力の保持だけを考えて、天皇陛下の任命した総理大臣や陸軍大臣を乱臣賊子などと罵る。天皇陛下に対する態度もどこかあてつけがましい。一体軍紀は何処にあるのか、と。彼はバッサリと、大島次長が示した二案のうち後者を進言、由比第一部長、武内第三部長もこれに同意であったという。
※取り消し線は本文通り。

五月八日 木 晴
長州の岡市之助、次官を免ぜられ、兵庫の本郷房太郎其後任と為る。兎に角一進歩也。

岡を京都人とする本もあるが実際は長州人である。宇都宮は当初、岡の後任に山口勝を望んでいたが、木越の推薦で円満な人柄の本郷房太郎となった。山口は砲兵課長時代から部内に聞こえた実力者で、その態度の大きいことから”陸軍の大隈伯”というあだ名もあったという。二・二六事件に連座した山口一太郎大尉の父親である。

六月三日 火 曇
軍事課長等任免の件に付き柴軍務局長に注意せしむる為め、少将山口勝を教育総監部に訪ひ意見を交換し、山口本日柴を訪ふことに取極め帰衙す。

官制改正に最も強硬に反対していた宇垣一成軍事課長の処分に関して、山口と共に柴に掛け合っている。怪文書まで撒き散らした宇垣は、八月三十一日付けで歩兵第六連隊長に左遷されるが、これが宇都宮らの意見通りなのかは分からない。後に上原や武藤等と宇垣一派が激しく対立することを思えば、中々興味深い。更に言えば宇垣自身、復活した軍部内閣現役武官制によって組閣を阻まれるのだから、皮肉といえばこれ以上の皮肉は無い。

六月二十四日 火 雨
本日午前、葉山に於て楠瀬中将陸軍大臣に親任式あり。同志苦心の結果事実に現はれ、為邦家為陸軍、祝着の至なり。

木越の後任について宇都宮らは、伊瀬知中将を通じて山本に働きかけていたが、その希望通り楠瀬幸彦中将が陸軍大臣に任命された。楠瀬は上原と同期の砲兵将校で、土佐出身であった。長州の息のかかった人物の任用を防げたことで、宇都宮もほっとしている。このとき次官も寺内に近い本郷から、予てより希望の山口勝に代えるという話があったが、それは余りにも露骨過ぎると楠瀬の判断で見送られた。


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