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近衛読書中隊

挙措において簡素 言語において細心 熱狂において慎重 絶望において堅忍  

1912(明治四五/大正元)年

十一月二十五日 月 晴
午后、樺山資英宅にて内務次官床次竹二郎と会見、増師問題に付き論争。彼れは怒気を帯びて去る。

樺山も床次も薩摩人である。二個師団増設問題について三人で対応を練っている。

十一月二十六日 火 晴
余は予ねて大臣等と相談しある最小限案を主張し、彼等は、西園寺首相は如何にするも之を来年度の予算に上すことは絶対に不同意にて、来々年度より上すこととすべく、其為めには如何なる約束をも為すべしとて、其約束法に付き種々提案あり。(中略)大臣は矢張条虫案を固執し、最早妥協の余地無きものと観念しあるものゝ如く、余は、大臣は其閣僚との意思益々疎通を欠き、所謂官僚系長州系に少しく偏傾しあるにあらざるやを感ぜしめたるにより、此感想を直言し、大臣は政友会等非長閥派を味方として長閥を敵とするは得策にあらざると同様、過度に長閥に傾き其他を敵とするの不得策なるべきを陳じ、夜更けて帰宅す。

宇都宮の姿勢はかなり妥協的となっている。最小限案というのは小額でもよいから来年度予算に計上し、残りは再来年以降とする案。しかし床次の伝える西園寺首相の考えは、来年度予算に計上するは絶対不可。全ては再来年度というもの。この情報を持って上原陸相の下へいったところ、上原は依然原案に固執している。宇都宮は、最近の上原が周りを長州系の官僚に囲まれ、閣僚との疎通を欠いていることを憂慮し、そのことについて率直に諫言した。

十一月二十八日 木 曇
午前、陸軍大臣を訪ひ進言す。尚ほ私見を書して内呈す。(中略)結局余及床次より大臣に、条件を付け一年間延期することにて妥協するの得策なることを勧告するに決せしが、余が帰りたる后、此勧告は高島子を累すことに変更せられ、余も同意す。

宇都宮の呈した私見というのは、「今衝突して辞めるのは不利益である」というもの。いまや彼は完全に妥協論者となり、床次らと共に何とか上原を説得すべく苦心している。この際ということで薩摩の長老高島子爵にも協力を仰いでいる。

十一月二十九日 金 晴
過日来山県等の容喙を速きし結果、本日も岡次官は状況報告、意見受領に小田原に往きたり。(中略)夜十時過なりしも田中を其邸に訪ひ、談論午前一時に及ぶ。彼れは首相に妥協の誠意無きを以て一意突進の外無きを主張せり。転じて大臣を訪ひしに、矢張明日は突進すべき決意(これには裏面ありと余は信じ居りたり)を物語らる。

小田原というのは山県有朋の別荘を指す。岡次官が態々報告に赴いている。長州派にとって上原が強硬路線を取り自爆したところで、自分たちの腹は全く痛まない。それどころか願ったり叶ったりである。軍務局長の田中義一も本心はともかく強硬路線で大臣を煽る。宇都宮にはこの状況が歯がゆくて仕方ない。何とか上原の考えを変えたいがうまくいかない。

十一月三十日 土 晴
早朝、大臣を其褥に訪ひ、誠意西園寺と妥協、内閣を維持し、仮令一年延期しても増師案を成立せしむるの邦家の為め有利なるべきを最后の進言として進言す

午前三時過ぎに出た上原の官邸に早朝再び訪れ、最後の諫言を行った。上原陸相は彼等の悲願であった。このようなことでご破算にはしたくないのだ!しかし上原の態度は変わらない。

十二月二日 月 晴
午前十時三十分、上原陸相辞表を捧呈す。政局は是れより一転、天下再び彼等官僚、即長閥の有たるに終はるを免れざらん乎、噫。

世に有名な上原勇作陸相の帷幄上奏、単独辞職である。この三日後西園寺内閣は総辞職した。宇都宮があれほど喜んだ上原陸相は1年も持たなかった。少しずつ要路に同志を置くというのもすべてパーである。

十二月六日 金 晴
山県等は無論寺内と通牒之を推すに一決しありしも、大山公、平生に似ず異議あり(後略)

西園寺の後継首班について、山県らはかねてよりの計画通り寺内朝鮮総督を推したが、珍しく大山巌がこれに反対し、紛糾した。

十二月七日 土 晴
本日、長派の者より寺内宛の秘電一覧。彼等の内閣乗取の為めの陰謀の跡顕然、実に驚愕且つは慨嘆の至りなり。不臣不忠、彼等は真に忠臣顔を状へる偽善的賊臣とも謂うふべきなり。

何かの拍子で寺内たちの電報を手に入れた宇都宮。横車を押して西園寺内閣を倒し、寺内を首相とする陰謀を見て取り赫怒している。上原はまさにその陰謀の駒に使われたわけだ。宇都宮はそれがよく分かっていただけに、悔しさも百倍であろう。

十二月十八日 水 晴
余が参謀本部第二部長として着任以前より第四課長にして引続き久しく余が部下に誠意幇助し呉れたる歩兵大佐武藤信義、隊付希望により、成るべくは東京に置度、多少世話する所ありし甲斐ありて、本日近衛歩兵第四連隊長に補せられ発表す。

武藤はあらゆる意味で宇都宮の正統な後継者といえるだろう。近衛歩兵第四連隊は宇都宮の原隊でもある。


これで1912年分のレビューは終了。

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