近衛読書中隊

挙措において簡素 言語において細心 熱狂において慎重 絶望において堅忍  

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南部麒次郎中将の自叙伝である。筆者が最終的に筆をおいたのは昭和17年、出版は28年。出身地は佐賀。陸士は2期。兵科は砲兵。2期の砲兵は卒業者19名だが、南部の卒業席次は11番。ちなみに一つ上の10番が鈴木孝雄で、砲兵科首席は小野寺重太郎。二人とも南部の親友で、関宿の鈴木の実家を小野寺と二人で尋ねたとき、たまたま鈴木の兄の貫太郎も里帰りしており、一緒にご飯を食べたそうだ。

彼の主な発明考案は三八式歩(騎)兵銃、三年式機関銃、十一年式軽機関銃、南部式自動拳銃、南部式空包機関銃、九四式将校用拳銃、九六式軽機関銃etc

南部中将に関しては、兵頭氏が面白い考察をしておられますが、私はこの自伝を読んだだけでは、こんなこと全然読み取れませんでした。ただ人の良さそうなおっさんだなあとか、親父さんも出来た人だなあとかぐらいです。

小銃製造所時代、雷管突破の原因について島川文八郎と言い争いになり、実験結果を示して、彼をへこましたことがあるそうな。

欧州の軍需工場視察の報告で、技術者を倍加し、将来民間工場に兵器を製作せしめることが目下の急務であると述べたところ、軍事課長の津野大佐
「南部大佐の話は外国に行かなくても話せることだから、他の事に就いて報告してください」
と言われたそうだ。頭にきた南部は、
「今回欧州に出張して一番感じたことを話した次第で我が国でもこれさえ実行するば他の百の報告をし、そして実行しないことよりも勝っていると思ふ。津野課長の言云はれるように内地にいてもこれを知るなら、何故実行せられぬのか」
と反駁したが、津野大佐は何も応えず、そのまま別の話に以降したという。

まあ端的に言えば、比較的幸せな技術軍人人生だったのではないでしょうか。恵まれなかった日野熊蔵などと較べれば。
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