近衛読書中隊

挙措において簡素 言語において細心 熱狂において慎重 絶望において堅忍  

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『栄光よ永遠に~ 人間若林大尉の生涯~ 』読了。
陸軍人国記若林大尉の頁できるだけ早く完成させます。

ついでなので今日は”軍神”について少し書いてみます。
軍神という言葉を日本軍では、戦功を建てて戦死した軍人にたいして奉る一種の称号のように使ってました。現代の人が思い浮かべる軍神というと誰でしょう?
やはり某小説に大々的に取り上げられた広瀬武夫少佐でしょうか?それとも敷島隊の関行男大尉でしょうか?或いは真珠湾の九軍神山本五十六大将も一応軍神ですな。
どうもこうなると陸軍は分が悪いですね。橘周太少佐も、広瀬少佐と並び、戦前は知らぬもの無い軍神でしたが、戦後は跡形も無く消えましたし。やはり某小説に出てこなかったのが原因か?石光真清の手記ではアピール不足か?西住小次郎中尉若林東一中尉も映画化までされたんですが、今では知名度さっぱりです。義烈空挺隊の奥山道郎大尉なんか、その任務の凄絶さでは並ぶものが無いと思いますが、知られてませんねえ。かろうじて加藤隼戦闘隊の加藤建夫中佐あたりが残ってるかな?

さて、大東亜戦争後半、孤島の玉砕戦や特攻隊で次々と量産された軍神ですが、ではそのはしりとなると誰になるのでしょう?
時代を遡り日露戦争では、上記の広瀬・橘両少佐の他、松井石根大尉(当時)が深い感銘を受けた市川紀元二中尉や奉天で戦死した吉岡友愛大佐が銅像となりました。軍神とは少し違いますが、常陸丸の須知源次郎中佐も国民に強い印象を与えました。輸送船が沈められるなど、大東亜戦争では日常茶飯事ですが、まだこの当時は物凄い衝撃だったんでしょう。
更に遡り日清戦争では、勇敢な水兵三浦虎次郎、死んでもラッパを離さなかった木口小平、戦死はしなかったが、玄武門一番乗りの原田重吉といった兵卒が騒がれました。
ではそれ以前は?というと・・・私も西南戦争の谷村計介しか思い浮かびませんが、このあたりが軍神のはしりと考えていいのでしょうか?

と、まあ一口に軍神といっても、時代によって色々違うものですね。
すんません。自分でも何を書きたいのかさっぱりわかりません。頭が混乱してまとまりがつかないので、とりあえず今日はこれで終わります。
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