近衛読書中隊

挙措において簡素 言語において細心 熱狂において慎重 絶望において堅忍  

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チモール島戡定作戦の後、若林中隊はアタンプアに駐屯した。若林東一中尉は、宣撫工作の一環として土地の領主であるラジャ・アチェに接近した。間もなくアチェは若林を非常に気に入る。アチェには二人の娘があった。上の娘はサイダといい、「原節子を少しばかり黒くしたような女性」であった。アチェは若林に、このサイダを嫁に貰って欲しいと懇請する。
「ワカバヤシ サイダ ハ キミガスキダ アイシテイル アナタサエ ヨカッタラ ケッコン シテクレナイカ コノアチエニハ モチロン イゾン ハ ナイ」
この申し出に若林は悩むが、もはや次の戦場へ立たねばならぬ身であるとして、謝絶した。中隊がセイロンへ旅立つ日、アチェとサイダはクーパンの港までやってきて、若林を見送った。

これは『栄光よ永遠に』のなかでも触れられている話である。兵隊から陸士に進み首席で卒業した立志伝中の人物であり、香港攻略の立役者。一方で女がらみの逸話も非常に多い人。しかし、いくらそんな若林中尉といえ、戦争で訪れた土地で王族に見初められ、娘を貰ってくれと望まれるなど、まるで梶原一騎の書くストーリーのようなことが有り得るだろうか。私はこの話に関しては結構眉唾であった。ところが、十全会編『後に続くものを信ず』によれば、二人は結婚式まで挙げているのだそうだ。結婚式は、仲人に中隊の大野准尉、部下50余人出席の下、整然と行われた。式は始めから延々とイスラム式で進んだため、押され気味と感じた大野准尉が、ここからは日本式で行うと高砂を謡って大見得を切り、結局朝まで続いたという。大野准尉は若林の命令で、ブーゲンビルに残ったため、命ながらえた。同書には、中尉とサイダが並んで写った写真まで載っている。以下は中尉が別れに際してつくった詩。

スラバヤの別離
九月二十七日 忘れ得ぬ日なり   其の日は晴れて暑かりき
大日丸は岸壁に着き         新興丸は岸壁を出ず
大日丸にてアチエは着けり      サイダも其の一族も
新興丸にわれ乗船す         「ソロモン」に戦ひに征くなり
アチエ一族と縁を結びて       サイダとチモールに語れるは
一朝の夢と化して空し   われ   偽れるか 決して さにあらず
単なる○○の対象として  われ   イスラムとなりたるにあらず
この新興民族の息吹きを       我が逞しき力もて 更に強め
血は水よりも濃き 大東亜を     結成せんと 誓ひしなり
今 軍令の 厳として横たわり    締約 たちまち破れて 海
船倉を訪へば アチエありき     サイダはインコを肩にして
あどけなき顔して 我れを喜べり   わがスマトラに行けざるを云へば
蒼白となりて 又 言はず       愛らしき弟妹も 又 声をのむ
言いたきことも 云へず        周囲に 兵あればなり
全身の力もて アチエとサイダ    サイダの母の手を握りて
後も向かず われは去れり      船は魔物の如くありき
船出して今なにをか思ふ        思ひても又施すすべなし
戦の庭に立つ男の子          又何を思ふの用ある
唯なすべきことあらば         ”忘れる”ことならむ





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