近衛読書中隊

挙措において簡素 言語において細心 熱狂において慎重 絶望において堅忍  

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当時の陸海軍人を取り巻く環境は、それこそ昔の自衛隊以下だったという人もいるくらい、悲惨なものでした。ただでさえつぶしの利かない上に、そのような状況下で行われるリストラは、職業軍人にとって恐怖そのものでした。宇垣もそういった人々の処遇について無関心だったわけではありません。陸軍現役将校配属令は宇垣が以前から暖めていたアイデアであり、戦争に於いて必ず欠乏をきたす下級将校の補充をより円滑にするために、学生層に軍事知識を植え付けることを第一の目的としていました。しかしもうひとつ、聯隊を廃止され行き場のなくなった現役将校を救済するという役割もありました。この学校教練がその後どれほど役に立ったかを考えると、宇垣の見識はやはり相当なものと云わざるを得ません。

また、反軍思想が渦巻く中、各方面に渡をつけ、この配属将校制度を実現するのに大きな役割を果たしたのが、軍事課高級課員だった偉材永田鉄山中佐でした。

しかし勿論配属将校だけで、すべてのリストラ対象者が救えるわけはありません。多くの将校が恨みを呑んで予備役に編入されました。宇垣は廃止四個師団の中に郷里岡山の第十七師団を含めるなど、率先垂範を示しましたが、それがリストラ将校たちの気持ちをどれほど緩和し得たでしょうか。軍旗を奉還することとなった十六個聯隊の悲嘆は筆舌に尽くしがたいものがありました。

中岡弥高(13期)は明治時代、長きに渡って人事局長を務めた中岡黙少将の長男であり、宇垣とは同郷で、また若い頃からよく知る間柄であったそうです。彼はその親近感から、陸軍省の庭で乗馬中の宇垣に対して、井出宣時秘書官(21期)の制止を振り切り、「この際、潔く軍を退かれてはいかがですか」と直諫しました。宇垣はそれに対し「マー、それには及ぶまい」と答えたそうです。(額田前掲書)中岡はその宇垣の表情に、国家国軍のため今後いかなる苦難にも立ち向かっていこうとする気迫を感じたそうですが、中岡にこのような勧告をさせるほど、当時の宇垣に対する風当たりはきつかったのです。

しかし別れがあれば出会いもあります。末松太平は陸士予科を卒業すると、故郷とは正反対の青森歩兵第五聯隊に配属されました。丁度同じ時期、歩五に廃止された弘前五十二聯隊より一群の将校が転属してきました。その中に歩兵少尉大岸頼好がいたのです。末松はすぐに大岸に引き込まれ、以後国家革新に没頭していくことになります。本科に戻ると航空兵科に志願するつもりだった末松は、結局それを取止めます。大岸の許に帰ろう。末松に航空兵志願を取止めさせたのは、そういう思いでした。宇垣による軍備整理によって偶然にも引き合わされた二人は、こうして生涯分かたれる事のない盟友となったのです。

強い反対が十分予想される中、宇垣をして、四個師団廃止に踏み切らせたのは、日本軍が近代化に於いて、欧米列強に大きく遅れをとっていることへの危機感でした。宇垣は常備師団を削ることで予算を浮かし、それで新たな部隊を編制し、新式装備を取り入れました。また、航空兵科の独立と、航空部の航空本部への格上げ、飛行大隊の飛行聯隊への拡張もみました。宇垣を助け空軍発展に尽力したのが、後の大将、陸軍航空の父、井上幾太郎でした。

それでは、上原元帥などこれらの宇垣改革に反対した人々は、機械力を軽視したアナクロ人間なのかといえば、そうともいえないでしょう。特に上原元帥は何といってもテクノロジー兵科である工兵科の文字通りパイオニアであり、老人になってからも、フランスから本を取り寄せて読み漁る、知識欲の化け物のような人でした。新兵器への関心の高さも、第一次世界大戦でイギリス軍に従軍した今村均本間雅晴が、元帥のところに報告に行って、ギュウギュウ締め上げられた話(今村均『私記・一軍人六十年の哀歓』)からも明らかです。それでは何故反対したのか。それを突き詰めていくと結局戦略思想の差異ということになるでしょう。強力な常備兵力を持ち、緒戦においてそれを叩きつけ、早く勝負を決める速戦即決主義と、縦深に戦力をとり、長期戦に備える総力戦思想。日本の国力を考えれば、総力戦などできないという、ある種の開き直りから前者の主義を取った人々が、戦略単位である師団の削減に強く反対したのです。この両者の対立は世代を超えて続くことになります。

ちなみに上原は航空兵科の独立にも強く反対しましたが、こちらははっきりいってセクショナリズムの発露と見るべきでしょう。当時、航空は工兵の領分でした。上原は飛行機にも強い関心がありました。フォール大佐の航空団が来日したときには、一行の若い将校を捉まえると、得意のフランス語でギュウギュウ絞り上げ、航空に関する知識を吸い上げました。上原から開放された若い将校は、大山柏に対して、あんな恐い親爺はフランスにはいないとこぼしたそうです。工兵の育ての親である上原としては、是が非でも航空を放したくなかったでしょう。しかし、航空兵科の独立を訴えた井上中将も工兵科でした。彼は長州出身ではありますが、例え長州でなくても大将までなっただろうと、辛辣な評論家からも評されるくらいの逸材でした。

とにかく、こうして見たとおり、宇垣軍縮というのは、予算面から見ればさしたる節減ではなく、宇垣の言うとおり、軍縮ではなく軍備整理でした。しかし、世間も政党も陸軍すらもこれを軍縮と見ました。政党は宇垣に高い評価を与えました。伊藤正徳によれば、加藤高明、若槻礼次郎、浜口雄幸の三人が加藤邸で会談したとき、加藤が「宇垣は立派な男である、陸軍に彼の如き人物が居れば大丈夫だ」と云うと、他の二人も口を揃えて賛成したそうです。(伊藤前掲書)一方陸軍には反宇垣感情が深く沈殿しました。しかし、それが噴出するのはずっと先のことです。
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さて宇垣軍縮に触れる前に山梨による軍縮を見てみます。大正11年に山梨陸相の下、断行された軍備整理は、各歩兵聯隊より三中隊を減じて一機関銃隊をつくり、各騎兵聯隊より一中隊を減じて騎兵旅団に機関銃隊を新設するほか、野砲兵六聯隊と山砲兵、重砲兵各一大隊を廃止して野戦重砲兵旅団司令部と同聯隊各二ならびに騎砲兵一大隊と飛行二大隊を新設するという内容だった。その結果、将校二千二百六十八名、下士官兵五万七千二百九十六名と馬匹一万三千頭の減員となり、三千六百万円の節減となったが、世間は納得せず翌年第二次整理として、鉄道材料廠一、軍楽隊二、台湾歩兵大隊二と仙台地方幼年学校の廃止が決定された。(額田坦『陸軍に裏切られた陸軍大将』より)

この軍備整理に対して宇垣は
コネ廻したる軍縮案、当局の詭弁的に所謂整理案も七月中旬漸不完全ながらも目鼻が付きたらしい。・・・衆智に訴え公論に聞きもせず十二属僚の狭隘なる浅薄なる智嚢より案出せられたるが如き観ある案は、・・・外部よりツツキ廻はされて譲歩に譲歩を重ね改変に改変を加えて、奇形児の誕生を見るの域に達したり。
と酷評を加えてます。しかし一方でこういう記述もあります。
新兵器の採用は少数なれども先ず為さざるに優る。人事行政のほうも何等巧妙なる手段も認めぬが多少目鼻が付きかけた処位で微温的である。殊に教育施設の改新に手を就けざりし処は、如何に弁解するも整理と云ふより軍縮たらしめたと云はねばならぬ。
”軍縮はいかんが整理はやらねばならない”というわけです。特に注目すべきは教育云々のところ。これを読む限り、宇垣の脳内ではすでに、後の宇垣軍縮のエッセンスは出来上がってたようです。やはり只者ではないですね。「僕が一番陸軍をうまく整理できるんだ」(CV:古(ry)

シベリア出兵の旗振り役だった田中義一が入閣と共に撤兵にシフトチェンジしたのと同じように、宇垣も入閣するや直ちに調査会を設け、軍制改革について調査を開始し、その結果を元に軍備整理案を纏めると、軍事参議官会議に提出しました。宇垣は云う。「内には整理の実現に反対し、外には尚大袈裟の整理を迫る、此内外の反対を逆手に利用して自己の信念通りの案を成立せしむることにした。

軍事参議官会議では上原、福田、尾野、町田が最後まで強硬に反対、河合、大庭、田中、山梨は最終的には賛成にまわった。特に福田の反対は執拗で、政党に屈する軍の前途を憂い、戦力の基幹を減節する師団廃止を國軍の為に悲しみ、恰も陸相を軍の反逆者とするが如き口吻さえもらしたという。(伊藤正徳『軍閥興亡史』より)
しかし宇垣は屈せず、元老奥元帥を口説き落とし、5対4で会議を乗り切った。
大正14年5月1日に執行されたその整理案の中身は、
  • 十三(高田)、十五(豊橋)、十七(岡山)、十八(久留米)の四個師団の廃止
  • 聯隊区司令部十六、衛戍病院五、幼年学校二の廃止
  • 戦車、高射砲聯隊各一、飛行聯隊二、台湾山砲兵聯隊一の新設
  • 通信学校及び自動車学校の新設
  • 軽機関銃、戦車、高射砲、自動車牽引砲、射撃器材などの近代化
  • 航空兵科の独立
    などであった。(額田前掲書)
    さらに陸軍現役将校配属令によって全国の中等学校以上に現役将校が配属せられ、軍事教練の振作が図られた。

    整理将兵三万六千九百人、馬匹五千六百頭。しかし予算の節減という面ではそれほどでもなかった。事実は軍縮というより軍備整理だった。しかし世間はこれを軍縮と呼んだ。未だにこの第三次の軍備整理は”宇垣軍縮”と呼ばれる。次回はこの”宇垣軍縮”への各界の反応と陸軍に与えた影響について考えてみます。

    補足
    この宇垣改革を支えた属僚たち
    次官:津野一輔
    軍務局長:畑 英太郎
    人事局長:長谷川直敏
    高級副官:中村孝太郎
    軍事課長:杉山 元
    歩兵課長:中屋良雄
    軍事課高級課員:永田鉄山
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