近衛読書中隊

挙措において簡素 言語において細心 熱狂において慎重 絶望において堅忍  

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あの地震から今年で10年ですが、大正12年にも大きな地震が日本を襲いました。関東大震災です。そのとき今村少佐は洋上にいました。彼は上原勇作元帥の南洋諸島視察に随行していたのです。大被害を受けた東京湾に着いた彼は、その足で参謀本部に向かい、そこで参謀次長から、遷都する場合の候補地の研究を命ぜられたそうです。

今村均は、中学卒業後は一高あるいは高商への進学を夢見る少年でした。しかし、判事であった父親の急死で、家の経済情況は急速に悪化。結局二高を断念し、学費のかからない陸士に入学します。陸士を卒業後、陸大は首席で卒業。陸軍の要職を歴任し、大東亜戦争では第十六軍司令官としてジャワを攻略。その後第八方面軍司令官としてラバウルで終戦を向かえました。オーストラリアの裁判で10年の刑を宣告された今村は、巣鴨に収監される事ととなり、日本へ送られます。しかし、かつての部下が、マヌス島で酷い待遇を受けている事を知った彼は、ここでひとつの決断を下すのです。

今村均大将回顧録』は、彼が獄中で書き溜めた、六十年にわたる陸軍生活を総括したもので、初め自由アジア社から出版され、昭和45年に『私記・一軍人六十年の哀歓(正・続)』として、芙蓉書房から再販されました。そして昭和55年に、今村均回顧録(正・続)』と改題されて出版、現在に至っています。戦後、一般に流布された陸軍軍人像からはかけ離れたその姿は、まさに「かかる軍人ありき」です。今村将軍に関しては評伝の類も多く出ていますが、この将軍自身の筆による回顧録も是非読んでみて下さい。因みに巻末には、司馬遼太郎氏に対する反論文『乃木将軍は無能ではない』が収録されています。
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