近衛読書中隊

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大山柏『金星の追憶』鳳書房1989

著者大山柏は、日露戦争の満洲軍総司令官・元帥陸軍大将・公爵大山巌の嗣子である。母は会津藩家老山川浩の妹で、津田梅子らとともにアメリカに渡った山川捨松。著者自身も陸軍に入ったが、軍人としての将来には早々に見切りをつけ、大好きな考古学に没頭。昭和3年、少佐のときに自ら望んで予備役に入ると、慶応義塾で考古学講師となった。昭和18年に召集され、室蘭、根室に勤務。戦後は西那須野に住み、考古学の他に戦史の研究にも打ち込んだ。著作に、戊辰戦争史の決定版『戊辰役戦史』などがある。

しかし本書は、陸軍時代の思い出を軽妙な筆致でユーモアたっぷりに描いた柔らか~い本だ。個性的な同期生たち、渡河作戦マニアの上原元帥、将軍の月俸くらいもする高価なタバコの話、小遣いに困って大久保に偽書を売りつけようとした大西郷、李王殿下と金武官・銀武官などなど愉快な逸話が満載。また世間一般に流布している人物像とはかけ離れた大山元帥の実像などは、価値ある記録である。軍人好きには堪らない、絶対お奨めの一品!

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北京燃ゆ 義和団事変とモリソン』ウッドハウス暎子著 東洋経済新報社
山東省の片隅で起こった拳匪の反乱は、1900年の5月には北京に達した。6月11日、日本公使館員杉山彬が義和団に斬殺され、危機感を高めた列国公使館も防備を固め始めた。しかし、総理衙門はこれを取り締まるどころか、あべこべに聯合国に最後通牒を突き付ける。6月20日、総理衙門へ交渉に向かったドイツ公使ケテラーが射殺され、進退窮まった十一カ国の公使館員とその家族、居留民らは、篭城を開始した。取り囲む軍勢は、義和団に清国官軍も加わり凡そ三万。それに対して列国軍は義勇兵を含めても僅か五百であった。

8月15日に日本を中心とした聯合軍に解放されるまでの約二ヶ月、この大劣勢の中、交民巷を守り抜く原動力となったのは、柴五郎陸軍砲兵中佐に率いられた日本人達であった。
本書において著者は、ロンドンタイムス記者モリソンを始めとした、篭城に参加した欧米人の日記等をふんだんに引用しながら、日本人の活躍を生き生きと描き出している。

本文より

「日本軍を指揮した柴中佐は、篭城中のどの国の士官よりも有能で経験も豊であったばかりか、誰からも好かれ尊敬された」(ピーター・フレミング)

「柴中佐は小柄な素晴らしい人です。彼が交民巷で現在の地位を占めるようになったのは、一に彼の知力と実行力によるものです。なぜならば、第一回目の朝の会議では、各国公使も守備隊指揮官も別に柴中佐の見解を求めようとはしませんでしたし、柴中佐もとくに発言しようとはしなかったと思います。でも、今ではすべてが変わりました。柴中佐は王府での絶え間無い激戦で怪腕を奮い、偉大な将校であることを実証したからです。だから今では、すべての国の指揮官が、柴中佐の見解と支援を求めるようになったのです」(P・C・スミス嬢)

「彼(柴)の部下の日本兵は、いつまでも長時間バリケードの後に勇敢にかまえています。その様子は、芝中佐の下でやはり王府の守備にあたっているイタリア兵とは大違いです」(同上)

「この小男(柴)は、いつのまにか混乱を秩序へまとめこんでいた。(中略)ぼくは自分がすでにこの小男に傾倒していることを感じる。ぼくは間もなく、彼の奴隷になってもいいと思うようになるだろう」(パットナム・ウィール)

「小柄できびきびした柴中佐は、必要な場所には必ずいつでもいる」(G・E・モリソン)

「しかし、彼(柴)はまったく素晴らしい将校だ。事実、清兵は王府の壁を突き破って突入してきた。しかし、彼らは壁の銃眼の後ろに控えていた日本兵のすさまじい一斉射撃にあって叩き潰された」(ランスロット・ジャイルズ)

「王府は戦略上のキイポジションだ・・・日本兵が王府の守備にあたっていてくれることは、ぼくたち皆にとって非常にラッキーなことだ。もしこれがイタリア兵やオーストリア兵だったとしたら、王府はとっくの昔に敵の手に落ち、ぼくたちは全滅していただろう」(同上)

「七月十二日の夜、日本管轄の王府で激戦がありました。そのときイタリア兵は逃走し、イギリス部署を無防備のまま孤立させたので、イギリス兵たちは大憤慨でした。それに比べて、日本兵はとにかく素晴らしく、みなの賞賛の的になっています」(ジェシー・ランサム)

「絶対といってよいくらいの確かさでその言動を予言できる国民は日本人だけでした・・・私は日本兵が大好きです。彼らは朗らかではつらつとしていて、負傷してもくじけません」(同上)

著者には他に『日露戦争を演出した男モリソン』という著作があり、こちらは現在新潮社から文庫本で出ている。

あの地震から今年で10年ですが、大正12年にも大きな地震が日本を襲いました。関東大震災です。そのとき今村少佐は洋上にいました。彼は上原勇作元帥の南洋諸島視察に随行していたのです。大被害を受けた東京湾に着いた彼は、その足で参謀本部に向かい、そこで参謀次長から、遷都する場合の候補地の研究を命ぜられたそうです。

今村均は、中学卒業後は一高あるいは高商への進学を夢見る少年でした。しかし、判事であった父親の急死で、家の経済情況は急速に悪化。結局二高を断念し、学費のかからない陸士に入学します。陸士を卒業後、陸大は首席で卒業。陸軍の要職を歴任し、大東亜戦争では第十六軍司令官としてジャワを攻略。その後第八方面軍司令官としてラバウルで終戦を向かえました。オーストラリアの裁判で10年の刑を宣告された今村は、巣鴨に収監される事ととなり、日本へ送られます。しかし、かつての部下が、マヌス島で酷い待遇を受けている事を知った彼は、ここでひとつの決断を下すのです。

今村均大将回顧録』は、彼が獄中で書き溜めた、六十年にわたる陸軍生活を総括したもので、初め自由アジア社から出版され、昭和45年に『私記・一軍人六十年の哀歓(正・続)』として、芙蓉書房から再販されました。そして昭和55年に、今村均回顧録(正・続)』と改題されて出版、現在に至っています。戦後、一般に流布された陸軍軍人像からはかけ離れたその姿は、まさに「かかる軍人ありき」です。今村将軍に関しては評伝の類も多く出ていますが、この将軍自身の筆による回顧録も是非読んでみて下さい。因みに巻末には、司馬遼太郎氏に対する反論文『乃木将軍は無能ではない』が収録されています。

今日はセンター試験ですね。筆者も8年か9年前に受けました。その年は問題が異様に簡単で9割近く取れた記憶があります。まあとにかく試験というのは終わった事を後に引き摺らないことです。ポジティブ思考で頑張ってください。

さて昨日に引続き100年前の話ですが、多大な損害を出しながらやっとの思いで旅順を落とした乃木将軍の第三軍は、1月13日の入城式、翌日の慰霊祭を終え、休む間もなく北上を開始しました。旅順攻略と乃木将軍の統帥に関しては、既に多くの本が出版され、その議論はいつ果てるとも知れません。現在もっとも有名な乃木将軍像といえば『坂の上の雲』におけるそれでしょう。何といっても国民作家とまで言われる方の著作ですから、その影響力は計り知れません。一方この司馬氏の愚将乃木像に対抗して、新たな乃木名将論も勃興してるようです。この問題はデリケートで、多分に感情論に陥りやすく、非常に扱いづらい問題なんですが、こういう場合はまず基本に立ち返る事が大事。というわけで今日紹介する本は、谷寿夫著『機密日露戦史』です。
この本は昭和41年に原書房から出版され、大きな話題を呼びました。司馬氏にも大きな影響を与えたと思われます。去年再版されましたので、名前は聞いた事があるという人も多いでしょう。

まずこの本の来歴ですが、著者の谷寿夫氏は陸士15期を卒業した陸軍軍人で、陸大では恩賜の軍刀を賜り、最終的には陸軍中将となった方です。この本は谷中将が陸大の兵学教官を務めていたとき(大正13年2月~昭和2年3月)、専攻科学生に対する講述で使用したテキストです(陸大や専攻科学生にかんしてはここを参照してください)。谷大佐の講述は一口で言えば日露戦争における政戦両略を論じた「戦争指導史」であり、その内容は終戦まで部外秘とされたそうです。”世上は日露戦争を世紀の大勝利としているが、内実は大本営も軍司令部も多くの錯誤を犯しており、その勝利は薄氷を踏むようなものであった。我々軍人は勝利の美々しさに惑わされる事なく、むしろ失敗点を研究反省し、次の戦争に生かさなければならない”というのが、谷大佐の授業の要旨ではなかったかと私は愚考します。
勿論”これ一冊で日露戦争はOK”などとは言えませんが、しかし日露戦争を知る上で絶対に欠かせない本であることは間違いありません。せっかく再版されたことですし、是非手にとって見てください。

さて・・・・一部でですが、この谷戦史はアンチ長州閥の意向を受けたもので、乃木将軍をいたずらに誹謗するものである、という様な事を言う人がいます。中には今村均大将の回顧録まで引き出して。私はこういう人たちにかける言葉を知りません。陸軍の派閥史をここでだらだら書く気はありませんので、この問題はこれ以上深入りしませんが、この本は決して乃木将軍を貶めるようなものではないです。乃木愚将像は、この本を読んだ作家が勝手にひねり出したもので、私はあれを全否定するわけではありませんが、やはりフェアとは言えないと思ってます。まあとにかく、この本は無罪です。変な先入観は持たずに読んでください。

今年は大東亜戦争敗戦から60年、阪神淡路大震災から10年などなど
色々と節目の年ですが、やはり最も御目出度いのは日露戦勝100周年でしょう。
そこで今回紹介する本は、日露戦争30周年を記念して行われた「日露戦争回顧座談会」
を収録した朝日新聞社編『名将回顧 日露大戦秘史 陸戦編』です。

この座談会は昭和10年2月に帝國ホテルに於いて行われたもので、出席したのは
荒木貞夫大将、井上幾太郎大将、尾野実信大将、大島健一中将、志岐守治中将、杉山元中将、鈴木壮六大将、田中國重大将、奈良武次大将、坂西利八郎中将、菱刈隆大将、藤井茂太中将、町田経宇大将、渡邉錠太郎大将、和田亀治中将という錚々たる15人。
藤井中将を除けばいずれも日露戦争当時佐尉官として、前線或は司令部に在った人々でした。
一方朝日新聞側も下村宏副社長、緒方竹虎主筆と後に何れも台閣に列する大物が出席。
座談会の内容は、身近に接した軍司令官達の素顔であるとか、実はあの時こうであったという
裏話であるとかで、日露戦争に興味のある人は是非読んでみてください。
司馬遼太郎氏もあの『坂の上の雲』で、この本から幾つかのエピソードを採用しておられます。

本文より

『田中、この乃木の爺は今は非常にやかましい爺だけれど、若い時ヨーロッパに行く前は非常にしゃれっ子でね。ズボンなどは何とかいふもの、襦袢などは何とかいふ襦袢を着て、非常なしゃれっ子でいたが、欧州から帰ってからこんなやかまし屋になった』といふ。乃木さんはどういふかと思うと、ただ『うふー、うふー』と笑って居られた


そのとき向こうから綺麗な美人が二人ばかり来て、私に『あれは黒木将軍じゃありませんか。どうかお目にかかって手を握りたい。シェークハンドしたい』といふので、私は将軍に『大変綺麗な女が来て閣下の手を握りたいと申しております』といふと『うむさうか』とにこにこして手を握られました。


『田中、西といふ奴は何も分からぬが、あの箱は西洋夫人の便器だぞ!西洋人が来た時あんなことを西がして見せると困るから貴様西に言っとけ』

100パーセント自身の趣味で始めたウェブサイトが1周年を迎えました。
旧帝國陸軍の編制や人事といったかな~り限定されたテーマで、これまで掲示板も設けず
ただひたすら一方通行に、ちまちまと更新してきましたが、さすがに最近ちょっと
煮詰まり気味です。そこで心少し気分転換する意味でブログをはじめることにしました。

内容としては、とりあえず読書日記のようなものになると思います。
対象となる本はやはり帝國陸軍とそれを取り巻く時代を扱う本が多くなるでしょう。
まあサイトの方が本宅とするならこちらは妾宅ということで、気楽に
不定期更新でやっていこうと思います。

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