近衛読書中隊

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本家『帝國陸軍〜その制度と人事

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河野司氏の「二・二六事件秘話」が復刻された。末松さんのブログで知ったわけだが、ここに告知しておく。

二・二六事件秘話 (KAWADEルネサンス)
河野 司
河出書房新社
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注文したこと自体すっかり忘れていたが、マツノ書店さんから立見大将の伝記が届いた。風邪も何とか治ったし、通勤時に読むかな。
悄然じゃなくて承前
今後の方針ですが、折角「rikugun.org」というドメインを取ってるので、そこにすべてを集約します。サーバーをどこにするかは悩み中ですが、結局コスパでCORESERVERになりそう。それにしても、ネット上でもそれほど話題になってないね。うち以外にもいっぱい消えたと思うけど。時代はブログ、SNS、twitter。調べ物はウィキペディア。個人のホームページなんて知ったこっちゃ無いか。
infoseekの無料HP、昨日でサービス終了だって。というわけでホームページ無くなっちゃいました。始めてからちょうど丸7年ぐらい。全然更新しないので罰が当たったかな。これからどうしようかなあ・・・
加納 明弘 加納 建太『お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ! 』ポット出版

「肺がんで死にかけている団塊元東大全共闘頑固親父を団塊ジュニア・ハゲタカファンド勤務の息子がとことん聞き倒す!」

まず最初に、あとがきで息子氏が少し書いておられるが、親父氏の術後は良好であるとのこと。肺がんの怖さは私も骨身に染みているので、それを聞いて、ひとまずほっと胸をなで下ろした。

親父氏は、東大文三に入学し、東大の中核派のリーダー格であったそうだ。当事者だけあって、全共闘やら民青やらの説明、あの時代の空気の説明は、簡潔にして要諦をとらえており、わかりやすい。しかし1967年10月7日、法政大学で中核派が、社青同解放派の指導者をリンチした。その報復として、親父氏は駒場で社青同解放派にリンチされた。親父氏はミニマムな差しかない中核派と社青同解放派の間でおこった暴力事件にショックを受ける。

息子 それで運動からちょっとの間引きこもったわけだ。
親父 そう、それで、引きこもったけど。しかし、どうしても反戦学生運動はやんなきゃいけないと思っていたからね。だから、佐世保のデモにも参加してデモ指揮をしたし、王子野戦病院のデモにも参加した。けれども、最終的にこれは中核派ではやっていられないなって決心して、セクトをやめたのが68年の5月ごろだったのね。

http://www4.hp-ez.com/hp/eastedge1946/page10より引用。以下の引用も左に同じ。

中核派を抜け、学校も退学した。

親父 そういうことじゃないんだよ。なんか3派全学連っていうのは、要するに革マル全学連でもなく民青全学連でもなく、3派全学連っていうのが1種の、要するに日本の社会運動の未来を担うっていうふうな存在だったんだよ。ここのところは当時を知る者にしか説明できないことなんだけどね。そういう希望に満ちた存在が、けっきょく壊れちまうっていうさ、そこのところだよ。壊れちまったことに行きつく先に、たとえば革マルと中核の殺し合いとか、社青同と革マルの殺し合いとかっていう図を直感させるような出来事だったんだよね。
俺はやっぱり、本質的に田舎育ちのお坊ちゃんなんだよ、元々。比較的豊かな家庭に生まれて、比較的良質な教育を受けて、中学時代ころから色々な本も読んで育ってきた。そういう根っからの中産階級育ちの人間にとっては、暴力で仲間内の問題を解決しようという発想が組織のなかに存在していたことがショックだったんだよね。美化していえば、暴力を受けたことより、こっちが、最初に暴力を振るう側になったことがむしろショックだったんだよね。



本書を読んで驚くのは、親父氏の博識さである。(HPの方では息子氏ももっとしゃべっておられたような気がするが)親子が温泉で座談したものなので、百科事典繰りながら話したわけでもないだろうに、歴史の話がスラスラと出てくるさまは、自分の最近の健忘症ぶりも相まって、感心してしまった。要するに知識が血となり骨となっているからだろう。変な表現だが、昔の秀才の凄みを感じた。少し前に中江兆民の息子について、ここで書いたが(これも名前がパッと出てこないんだよ)、彼に一脈通じるように思った。

追記
10月5日にジュンク堂新宿店でトークショーをされるそうです。
http://www4.hp-ez.com/hp/eastedge1946/page4/bid-78918

『お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ!』(ポット出版)刊行記念トークショー

1981年生まれの気鋭の批評家・荻上チキは、
1968年の全共闘運動をどう読むのか?
1960年代後半、全共闘は何と闘っていたのか。
そして、全共闘は2010年に、何を残したのか。
気鋭の批評家荻上チキが、かつての全共闘リーダーを鋭く追及する。

荻上チキ(おぎうえ・ちき)さんの履歴
1981年生まれ。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。テクスト論、メディア論を専門とする批評家。人文系ニュースサイト「トラカレ!」を 運営。共著に『革命待望!─1968年がくれる未来』がある。

■2010年10月5日(火) 18:30開場、19:00開演
☆場  所  ジュンク堂 新宿店 8Fカフェ
☆入 場 料  1,000円 (1ドリンク付き)
☆定  員  50名
☆予約受付はジュンク堂7Fレジカウンターで、またジュンク堂新宿店への電話でも予約できます。

ジュンク堂書店 新宿店 TEL 03-5363-1300

トークショーのポット出版による告知は
http://www.pot.co.jp/news/20100910_133806493919432.html

ジュンク堂による告知は
http://www.junkudo.co.jp/tenpo/evtalk-shinjyuku.html#20101005shinjuku

なお、当日は当日ustreamでトークショーがを生中継されます。
ustreamによる生中継は
http://www.ustream.tv/channel/potpub



半藤一利 秦郁彦 保阪正康 井上亮『「BC級裁判」を読む』日本経済新聞社

半藤、秦、保阪という代表的な現代史の書き手に、富田メモをスクープした日経新聞の井上編集員を加えた4人で、BC級戦犯裁判を語るという本書。取り上げられている事案は次の通り。

泰緬鉄道F軍団事件−−イギリス軍シンガポール裁判85号
サンダカン死の行進−−オーストラリア軍ラブアン裁判14号
ランソン事件−−フランス軍サイゴン裁判39号
カーコニコバル島住民虐殺事件−−イギリス軍シンガポール裁判12号
シンガポール華僑粛清事件−−イギリス軍シンガポール裁判118号
スマラン慰安所事件−−−オランダ軍バタビア裁判69号
花岡事件−−アメリカ軍横浜裁判230号
武士道裁判−−アメリカ軍横浜我利23号
ガスマタ豪軍飛行士介錯事件−−オーストラリア軍香港裁判13号
百人斬り競争−−中華民国南京裁判21号
海軍生体解剖事件−−アメリカ軍グアム裁判17号
父島人肉食事件−−アメリカ軍グアム裁判11号
ニューギニア人肉事件−−オーストラリア軍ウエワク裁判1号
東海軍司令部B29搭乗員処刑事件−−岡田ケース(アメリカ軍横浜裁判261号)
伊藤ケース−−アメリカ軍横浜裁判233号

いずれも比較的有名な事件だが、これらについて、事件の内容から裁判の内容までが、かなり詳しく紹介されており、それが一冊にまとまっていると言う点では、なかなか良い本だと思う。4人での座談会部分では、秦先生が、随所に、(シャバでは役に立たない豆知識を織り交ぜながら)キラーぶりを発揮しており面白かった。勿論中には軽口が過ぎると思う場面もあったが。

 秦 大本営の作戦課長だった稲田正純大佐が満州へ赴任して、「満ソ国境突破戦に自信ができた」と発言しているんですよ。毒ガスでやるつもりだったんです。マルタを実験台にして青酸ガスを大規模に北満の荒野で試してみて、効き目があると確信した。青酸ガスというのは、日本軍独自の兵器なんです。
 保阪 サリンなどは、まだ日本ではつくれなかったということですね。
 秦 日本は最後までサリンとかタブンのような神経ガスの開発はだめでした。作ったのはドイツだけです。日本もいろんな試作品を百種ぐらいつくったけれども、いずれも物にならなかった。唯一物になりかけたのが青酸ガスです。これも放射実験をやって、それを手投げ弾式にしたのが「チビ弾」というやつで、これでトーチカとソ連軍の戦車をやっつけようとした。
 何でチビという名前がついたかというと、ノモンハンでBT戦車というのが出てきて日本軍がやられましたね。それで、BT戦車をやっつける方法はないかということで、青酸ガスを小型のガラス球につめてぶっつけようと考えた。BTをひっくり返すと、TBになるのでチビになったという話がある。


 秦 わたしはいろんな戦記を読んできましたが、国際法についてちゃんと発言している例を見たことがないんですよ。わずかに一つだけ例外かなと思うのは、ビルマに派遣された日赤看護婦の和歌山班です。ゲリラに襲撃されて敵中突破するときに「堂々と赤十字の旗を立てて行きましょう」と婦長さんが主張するんですよ。


 秦 あの名誉棄損故判で一番得したのは福井県の女性弁護士です。わたしは一審の判決が出たときに東京地裁行きました。 控室に関係者が集まっていて、通常は弁護士が「皆様のご支援にもかかわらず、力至らず……」とかおわびするんですが、そうじゃないんですよ。
 その女性弁護士が「選挙に出る決意をいたしました」と宣言して、選挙の前祝いみたいになってしまった(笑)。裁判はどこかへ消し飛んじゃった。自民党の保守派にとって「百人斬り裁判で名前が売れているし、ちょうどいい」ということだったんでしょう。敗訴した責任者がこれをジャンプ台にして国政に出るとという妙な展開になった。


 井上 名誉棄損裁判では「日本刀で百人を斬り得るか」ということで論争になりましたね。
 秦 これもトリックなんです。山本七平が雑誌で日本刀の切れ味について延々と書いていたでしょう。刀工の何とかさんはこう言っているということで、日本刀についていろいろ考証して、結論はそんなに斬れないということにしている。しかし、据え物斬りならば何人でも斬れるんです。


 保阪 偕行社版の『南京戦史』では虐殺の死者は二万人でしたかね。
 秦 戦史家の板倉由明氏があの偕行社本の中心です。使っているデータはわたしと同じですが、わたしのほうが被害者が二倍になっている。なぜかというと、向こうは減耗率を掛けているんです。どういう減耗率かというと、勲章をもらうためには戦果を過大に報告するのが慣習で、戦闘詳報で何人と書いてあるのは〇・五を掛けなきゃいかんと。


 秦 「まぼろし=ゼロ」のグループに呼ばれて話をしたことがあるんです。彼らは「とにかく数が多い」と怒るんですよ。「じゃあ、おたくでは何人ぐらいなら満足するんですか」と言ったら、「本当はゼロだけれども、一人か二人だ」と言う(笑)。わたしが「しかし、戦闘詳報に七千人掃討とか数がいろいろ出てくるでしょう。あれはどうなんですか」と聞いたら、「あれは便衣兵だから虐殺のカテゴリーに入らない」と言う。
 半藤 便衣隊を殺しても通常戦闘だから虐殺じゃないというわけなんですね。
 秦 だけど、便衣兵を全部無条件にオミットしたとしても、当然そのそばづえを食った人たちがいるわけでしょう。「難民区の中から引っ張り出してきては便衣兵に見えるという理由で処刑していたが、あの中に無実の人間も入っていたんじゃないですか。それはどうするんですか」と聞いたんです。
 そうしたら、「そんなところに一緒にいたのが悪いんだ」と言う(笑)。わたしはこれはどうにもならんなと思ったんです。百人斬り訴訟もそういう雰囲気ですよ。一人か二人は斬ったかもと陰では言いあうかもしれないが、やっぱり建前はゼロなんでしょうね。
 半藤 そうなんでしょう。数ではなく、事実がないという主張ですから。
 秦 日本刀ではそんなに斬れないなんて、高校生でもおかしいと思うようなトリック論法が横行するんです。いくら言ってもだめ。



追記
ランソン事件について、軍司令官だった土橋勇逸が、あの長大な回顧録で一言も触れていないのは不自然だと、秦先生がおっしゃっておられたが、これは私も同感。明号作戦がいかにうまいこといったかについては、得々と書いているのに。当時はともかく、回顧録を書いたころになっても、事件について知らなかったなどということは、明敏な土橋に限って有り得ないと思うが。